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感情が理屈よりも上回る

おれは小さい頃からずっと車が好きで、幼稚園くらいの時好きだったのはメルセデスのSLとリンカーンコンティネンタル、それから発売すぐくらいのセルシオだったように思う。

まだ諸元表とかはっきり読めないうちからカー雑誌を穴が空くほど見ていて、それは言ってみれば性能が云々とか機能美がとか何も思ってなく、単にガワの格好良さに、つまり感情のままに好きと言っていたわけである。

これが一時期走り屋にはまり、早く走るためのスペック云々と言い出すようになってから話は複雑化する。



その一端としてFFが嫌いになった。

今多くの日本車(特に大衆車)はFFを積んでいる。一番の理由としては室内を大きく出来るからであろう。しかしFFというのは前輪で駆動と操舵を行い、とてもバランスが悪いとおれは思ってしまう。実際、エンジンが大きくなるとFFではキャパ越えになりほとんどの車はFRになる。

ただ、上記のコンティネンタルやキャデラックの一部車種をはじめ、欧米では大きい車でもFFを採用するところが少なくない。プジョーやアルファロメオ、アウディ、VWもそう(一部AWD)。だからといってこれらが一概に嫌いかというとそうでもない。プジョーはTaxiで好きになったし、アルファロメオは8Cが好きだし、コナンの母が乗るGTは俺の中で女子に乗って欲しい車第二位であるし、アウディも長く嫌いだったけど最近のTTRSR8は乗りたいと思う。
逆に、そのラインナップにFFが皆無なのにも関わらず、乗りたいと思う車が一台も無いメーカーがある。あえてどこかは明記はしないけど、くれたって乗る気にならないくらいだ。理由はこれを選ぶ人の像が俺の中では酷く悪いから。他にも直列系エンジンの多さとかインテリぶったツラとか挙げる事は出来るけど、それはあまり大きな理由ではない。

理屈で言えばFFよりも上位に見ているFRのメーカーが感情に負けてしまうというのは、おれのドライな性格から言ってありえないことなのに、なぜそうなってしまうのか。これは言ってしまえばもっといいFRが他にあるからという事に尽きる。

理屈はあくまで最低条件であっておれの欲を満たすものではないという事、そして感情が満足するものを理屈で包含することはとても難しい。

車に限らずとも、自分の理想はそれこそ脳内で諸元表を描く事も多いはず。例えばどういう服が好きとかどういう家電が好きとかどういう場所が、勿論どういう人が好きという事もね。しかし、自分が設定した諸元通りだとどうも腑に落ちない。つまり理想をちょっと上回らないと期待した満足感には及ばないわけである。

ありふれた言い換えをすれば、好きになるのに理由なんて無いとかそんな感じ。反対だと嫌いになるには理由が出てくるのだね。

不思議な事に惹かれるのは説明出来ない部分があるからだと誰かが言ってたのかは知らないけど、好きって言うのも本物だと説明し終われないっていうのがある。あれも言ってないこれも言ってないって具合に。

まあ、そういってしまうと何でもかんでも綺麗に説明したり言い切れたりする人が信用出来なくなってよくないかもだけど。

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