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お褒めに預かり

ベジータなiPad

ええ、確かに自分本位かもしれません。ただ、iPadを持ってる人は利己的なエリートかもしれませんけど、持ってない人が非利己的なエリートなわけではありません。むしろ利己的な無能の方が当てはまってる。というより所持品で人のナリを判断するとかとてもばかばかしい。

まあ基本籠り気味なおれなので家でわざわざiPadは使ってないし、外でもwifiがないとこでは使えないから、持ってるだけでどうってことはないと思いますけどね。便利なおもちゃくらいの感じです。



その意味でおもちゃを持つのは子どもだとすれば、概して子どもは利己的でしょうから、あとは内面的に持っているものがエリート気質かそうでないかという程度のことでしょう。

なんにしてもエリートと言ってくれるならおれはどんなでも否定はしません。

さて、一気に話を返しますが、コレ男の子たちは大変じゃないでしょうかねえ。どうしてるんだろうね。すぐだよすぐ。仕事でも抑えれるかどうか。

しかし、相変わらず暑い日が続き、気付けばもう明日は八月なのです。こうして毎月カレンダーをめくる度、人生のろうそくが溶けていくようでとてもいい感じですね。蝋燭とはよく例えたと思います。誰が考えた発想かは知りませんけど。激しくもえた人はすぐに死ぬ。チロチロもえる人は長生きする。
アイスキャンディーもそうです。おれの部屋ではアイスキャンディーの融ける速度が異常にはやいので食べれたものではないですし、チョコはその形をとどめておくこと叶わずです。
外部環境はそれだけ重要なんです。

近すぎる蝋燭はお互いを溶かしてしまいそうだね

さっきも某ドラマで言ってました。「おまえに命の責任が取れるのか」と。
逆に問う。取れる人はいるのか。命なんて誰かが責任を持つ必要なんてないし、自分の命くらい自分で守るのが基本。医者がどうしようとも彼らは死を司る死神ではありません。神は己の中にのみ宿る。
オーラだか魂だか知りませんけど、蝋燭で言うところのすすみたいなもんでしょう。言葉の遊びと抽象的な概念で丸め込むのはもう止めましょう。一生本質的な議論が出来ません。

このくらいの文明のレベルになると表現の限界というのがきて、どれもこれもありきたりな議論が蔓延しがちです。積み重ねもいいですが、ここはひとつ全部灰にしてしまった方がいいです。

ベジータだって惑星ベジータを壊されなきゃエリートのままでしたが、壊されることでスーパーサイヤ人にもなれたし、壊した張本人より遥かに強くなれたし、宇宙で最強の双璧を成す強さまで手に入れています。

壊れることを恐れるよりも自ら壊して再構築するくらいのことはもうそろそろできないと。
経済も政治も国家もなにも人が作ったものなんだからそれに振り回されてどうするんでしょうね。代々エリートが担ってきたんじゃないの、そのへん。


ただもう眠くて自分が何を書いているのか、半ばわかりま千円。

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