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リテラシー

フィナンシャルリテラシーであったり、メディアリテラシーといった”リテラシー”が最近の言葉の流行のように思える。いつからかのマニフェストみたいなもんだ。

人は至極言葉に流される

と言うより半分くらいは言葉の勢いに押される人が多い。だからこそ橋下さんや堀江さんのように、削り出しの言葉を使う人は良くも悪くも人の耳を刺激しやすい。
一見暴力的にも思えるが、非暴力を訴えたガンディーでさえ同じような手で世界に訴えかけたそうな



さて、それとは逆に県民にはあまり聞こえてこない声もあると言う話。


というのをWSJJのツイッターで読んで、奈良がどういう理由でかの立場を取っているのかと思った。ちなみに奈良県の広域連合不参加の理由をホームページなりで確認した人はどれほどいるのだろう。そして記事にある「不参加の是非を県民に問う」と言う事を受け入れないのはなぜだろう。

コスト対効果が薄いからといった事が不参加の主な理由のように感じたけど、コストをかけずに県民に是非を問うぐらいはしてもいいのではないか。
今時ネットで是非を問うのにほとんどコストなんてかからないし、ネットにする事でどっちかといえば若い意見に票を固める事が出来る。

市長とか府知事のようにツイッターで生コメントが見れるわけでもなし、県の動きがまるでわからん。蓋し、新聞やテレビや広報紙の非インタラクティブ媒体では宣伝されているのかもしれない。ただ、そんなもんで確認している層にこれからの県の事なんて考えていらん。

少なくとも、あからさまな年齢スクリーニングはよくないだろう。しかし、時代に合わない人間の意見が通るなんてのは余計なコストを増やすだけ。


そういえば
美咲ナンバーワン、香里奈さんが出てるから見てるけど、内容はご○せん的というか学校ものとしての目新しさに欠ける。しかし現状の日本の様がこういうことなのかなあとちょっと思ったり。つまり、やってもしょうがない、落ちこぼれたからどうもならないみたいな空気がね。話も聞いてもらえないとか誰もわかってくれないとか、正直そんな程度のことは今に始まった事じゃないんだな。最近の若者はという言葉を数千年も繰り返すと同様、年寄連中にはちょっと黙っておいてもらう必要があるのは周知。まして長生きの蔓延る昨今の問題ではありながら、未だ打開には至らず。

確実に言えるのは問題に直面した時、僅かにでも目をそらし何かの所為にして言い訳を考えたその隙に足下をすくわれる。

本当にリテラシーがあればいうだけでものが終わるなんて事にはならないはずなんだけどねえ。どうもそれがない人間の腰が重たくて重たくて。あんまり重くてイスから動かないから足すくわれても転けやしねえ。

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