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我降臨

何か土曜日の日中は結構ぼーっとしてる事が多くって、今日なんてあんまりだったもんで散歩なんかしちゃってね。人のいない参道とか何気に新鮮で、世界の距離感を感じたりして。

鳥居をくぐるときは真ん中を神様が通るそうなので、おれは当然端ではなく真ん中を歩いてく。2671年、橿原神宮は皇紀を採用している。俺は昭和とか平成のような細切れ換算する事は嫌いだけど一連の長さがある暦は大いに認めている。

しかしこういう有史なんだか神話なんだかはっきりしない話はどうもはっきりするまで世間はもめる節がある。



幸か不幸か、奈良はそこかしこを掘り返せば遺跡だ古墳だと、もはや珍しくも何ともなくなってきそうなくらいである。しかし、時には珍しいものが発掘され、その度に邪馬台国の畿内説だなんだと騒ぐ。一方で九州派が反対の意見を唱える構図。

実に不毛。

なぜ発祥にこだわるのか、そしてどっちかではなくどっちもと言う結論は否定するのだろうか。俺が個人的な浅学で思っているのは大陸から渡ってきた人が九州に降り立ち、大和に向かって進みそこに定住したと言うこと。これは出雲の国にからむ神話や古事記あたりの話で何となくそんな気がしている。あまり詳しくは面倒なので書かないけど、当時の出雲と言う大国が恐れたのは大和であり、邪馬台国と言う国が大きくなったのはその大和である確率が高いんじゃないかなあ的な。

ただ実際、俺にとってはこういう発掘で何回高速の建設が止まってるかの方が気にかかってる。物心がついた頃にはあの石柱があったんじゃないかと錯覚するほどに。
歴史がいくら明るみに出ても、その歴史から何も学べない人間にはそんなもの何の意味も成さないんじゃないのかと。

確かに、観光としての集客は期待出来るけどね、そういう説がはっきりするだけで。奈良はそうやってずっと過去の歴史で腹を満たしてきた事は否定出来ない。新興産業で花咲いた事が無いのも下手にそういう財産を抱えてるからだろう。

ところで、以上地元奈良についてローカルピーポーが徒然書き下したけれど、最近少し思うところがある。実家がマンションという事。

持ち家ならいざ知らず、マンションは言わばアリエッティな形態。もはや生家で実家なんてのは極稀になるのではないかって。それを親が住んでいるから実家とするのは辞書的な意味から外れてしまう。別に気にもならない事かもしれないけど「実」ってなんやねんと思ってね。

つまるところ邪馬台国もそんなんでいいんじゃないの。引っ越したからどこが本当に地元かはっきりしないみたいな。

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