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クオリティという言葉遊び

リコールの多さ

まあ問題はこれだけじゃないけど、儲かるために品質を犠牲にしてとりあえずは売ってしまう。そして文句があった時に対応する。でもその売った総量に対しどれだけ文句が来るかがこういう低モラル企業には重要で、その差分が利益出てればいいとでも思ってるんだろう。



何も車だけじゃない。生活に関わる多くのものを作っている企業で、尚かつ大量生産しているところは少なからずそういうのがある。大きい企業になればトップの顔も知れて立派な発言を表ではするけれど、真実のほどはわからない。まだ、どこかに悪いことをしなければ儲からないと言う意識があるんじゃないかと思う。もっと言えば、悪いとも思ってないのかもしれない。

ちなみに、最近もニュースになっていた詐欺。詐欺の多くはある集団に対し騙しをかけて引っ掛かった人を騙し続けると言うのがある。例えば50人の集団に0-9の数字を思い浮かべてもらう。でもって詐欺をかける側が適当に数字をいって当てる。これだと単純に5人は何でわかったんだろうとなって落ちるわけで、他の45人は対象から外れる。そしてその5人から元を取る。

多くの人は騙されないだろうと思っていてもそれは関係なく、数少ない騙された人によって成り立つ。これを逆にもっと高効率で行えばマイノリティとマジョリティの立場が逆転して悪いと言う意識が薄れる。みんなで赤信号を渡ったと言うことである。

しかし、ここで重要なのはこれが民意というか、世間の同意だということ。つまり、金持ちと貧乏は今の時代では多数決の結果なわけだ。


車を使わなければいけないか

都心というか、インフラが十分ならば車はいらない。そしてその都心部が車を買うまでになるほど魅力のある車は無い。今は低コストでいろんなものが手に入ってしまうのに、車のように高コストなものをなぜ買うだろうか。これは世間の不景気と言うことではなく、世間の目が肥え過ぎた結果である。情報が手に入り易くなって少し賢くなった民は、所有の重さから利用の軽さにシフトしただけのこと。特に日本は不動産と言う柵もあって、所有のコストが(対密度で)他国より大きい。

ただ残念なのは一番欲しい車がベンベ(BMW)であるということ。これはあくまで俺の好みと偏見だけど、ベンベと言うチョイスが昭和の、高度成長期のサラリーマンの感覚としか思えない。まあ、人それぞれだから何がいいのかわかるわけも無い。

しかし、冒頭で触れた通り、少なくともリコールが大量に出るほどのクオリティで物を作るのはいただけない。誰でも簡単に手に入りそうと言うのはどこかリスクが消えない。

高嶺が高値なのも実は自然な流れだったりして

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