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転ばぬ先のバランス感覚

転ばぬように杖を持つか、転んでも無傷の強靭な体を持つか、転んでも気にしないか

おれは転んでも気にしないし、転んでも傷つかないし、まず転ばないという気で生きている。
ただし、転ばぬ先に杖を持つことは無いだろう。

杞憂、それは事が起こった時に自分で解決することから逃れると言っていい。



様々な保険が売れるのも、この起こりえない転倒に多くの人がビクついているからだろう。

「もし~だったら」そんな誰も予測出来ない未来のことを憂いて現状のパフォーマンスにロスがあっては、起こりえない転倒を引き起こす可能性を高めるだけである。そして、いざという時には誰かがどうにかしてくれるという怠慢も生まれる。
しかし、本当に惨事が起こった時はどこの誰もその惨事を上手く処理なんて出来るはずがない。やってることと言えば穴の開いた地面に違う土を入れて埋めることくらいのもの。

日々の精進が十分で、それでもなお起こる厄災はむしろそれを受け入れた方がいい。

言葉の例をとってみても、外国人のペラではない日本語を聞いて私たちは馬鹿にするだろうか。文化や知的レベルにもよるだろうけど、おそらく外国の人だってちょっと変なその国の言葉を日本人が話したからと言って馬鹿にはしない。その体面を気にして話さないのも同じように杞憂と呼べる。

やるリスクなんてのはやらないリスクに比べて大きいとは思わない。何せ英語なんて3語でいいそうだし。

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まあ、おれは今のところ論文や海外製のアプリ、海外の年次報告書とtwitterのフォローと、読むばっかりで会話する機会はほとんどないのだけど。
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