ソンナオマエガキライ
今日は久々に機嫌を損ねた。
今でもそのレベルでむかついた人間に対してはどんなに顔で笑っていても、目の奥まで笑っていても、深淵にいる俺の本体は殺意をもっていると言っていい。そして、俺の脳の中でそいつを殺している。だから、いざ現実に目の前に現れてもいないのと同じで認識しない。
と言っても本の数十分。逆に数十分も切れ気味だった。理由は小さい事なれど、空腹も相俟ってとても苛ついていた。
俺は滅多なことでは怒ったりしないので大概むかつく時は根が深い。それこそ一生もの。
(以下駄文)
今でもそのレベルでむかついた人間に対してはどんなに顔で笑っていても、目の奥まで笑っていても、深淵にいる俺の本体は殺意をもっていると言っていい。そして、俺の脳の中でそいつを殺している。だから、いざ現実に目の前に現れてもいないのと同じで認識しない。
俺は人より記憶力が良いので変に嫌いとかって言う事を残しておくとずーっと残ってる。いくら容量が大きくてもつまらない記憶なんてとっておくだけ無駄。従って、他の情報にリンクしないようにその記憶にアクセス制限をかける。具体的には連想記憶出来ないように意識するわけだね。そうすることで単なる情報としてそこにはあるけれど、それが楽しいのか苦しいのかとは無関係な状態になる。さらに寝るとそれらの情報が格段に整理されて、もはや脳のネットワークから完全にオフになる。
ではなぜ一生ものかと言うと、嫌いな情報は”嫌い枠”にオフラインで入っていて新たな嫌いが生まれる度にそこにアクセスして嫌い枠にいれる。そうすると、嫌い枠の扉を開く度にアーカイブを垣間見るということが起こる。その一瞬だけはアレもうざかったコレもうざかったと反応する。完全に消えてはいないというのがたまに難点。恐らく脳も削除は出来なくて、上書き的に処理している所為だろうか。
しかしなんというか、年々生まれつきの「無精」が加速してか、怒ったりむかついたりって言う温度の高い動作が面倒になってきている。さらに、これも生まれつきの「飽き性」が祟って、いざ怒ったりむかついたりという感情が長続きしない。まあ、おれは相手に無関心だったり自分より優れていないっていう主観のために、余計その辺はドライになるというか。何にしても期待なんてのはしない方がいいと言う話。
さて、ただでさえ読者の少ないこのブログも、内容によっては見た人の損にしかならないとあってはよろしくないので何か有益そうな情報でも提供しておきたいところ。
そうだなあ、例えば
今日MacがiMacとMacProをマイナーチェンジしたとか。
マセラティのエンジン音は女の人を口説く時には良い音だとか。
ナイトの称号をもらうとき肩に剣を当てるのは最近の習慣だとか。
ウサギはカメに抜かされるどころかいつまでたってもカメを抜かせないとか。
どうだろう、あんまり有益とはいえそうにないか