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概念を定義するのは難しい

いつから若くていつから年寄りか

いろいろ調べてる人が多くて感心します。

こんな本もあります。

年齢の事典―その時何歳?(いくつ)

東京堂出版
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人は何歳でどうなってということをよく言いますが、別にその通りということもないはずです。一桁歳でどんなに勉強ができたって、大人になればただの人なんてのはよくあること。ある程度の年齢に出来ると凄いと評価されるのは、多くの人がその年には出来なかったという一つの結果であり絶対的に凄いこととは違います。もしかすれば単にその場で教わらなかっただけで、実は出来たかもしれないし、随分いい加減なものです。そして、いざ出来ても世の中にそれを出来る人が何人もいれば比べて何が抜きん出てるとも言いがたい。

要は何歳になっても凄いことをやれば良い。人の才能や努力を年齢のせいにして理由付けするのはなんともせこい。そう言うのを言ってる時点で年齢以前に無能。

かくいう俺だって、知ってればもっと早くからやっていたし出来たかもしれないなんて事はいくつもある。でも今はいくつだからと言って断念することもなければ、後悔もしていない。小さいころの半分無意識な状態に覚えたことって習慣的に出来てしまう分隙が多い。天才が世で賞的なものよりショー的なものに向いてるのはそのせいである。もっと厳密に言えば先天的に圧倒的な才に恵まれるのは鬼才の方であって、天才は才能に努力を付加して世間サイズに金メダルや一位と言ったような目に見える形での成果を受けている。従って、天才程度ではまだ測られる枠にいるということである。

天才で思い出したけど Crime and Punishment

罪と罰 (上巻) (新潮文庫)
ドストエフスキー
新潮社
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日本語では罪と罰。多分そうだと思っていたけどこの罪は crime であって sin ではない。中身を読んでない人にはそれがどうしたということだろうけど、天才が犯す罪はcrimeだと言う話。この本に天才とは直接書いてないけれど、非凡人という言い方で記載されている、非凡人は罪を犯す義務があると。では sin という罪は誰が犯すのか。神への冒涜とかそういう点でいえば鬼才によって、なのだろうか。少なくとも天から才を与えられた天才には無理。

仏教とかでたまに出てくるあっちの世界では、こっちの世界と年数の経ち方が全然違う。向こうの一年が何万年とかそんな感じ。神と数字では今のところ数字の方が信憑性があるので、神の出てこない仏教の数の理屈に従えば、どれだけ年齢なんてのが小さい誤差かと思える。

まあ、この年までにっていう時間縛りも時には必要かも入れないけどね。

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