Header Ads

合理と流行と感情と

世界と日本のFF車の歴史
武田 隆
グランプリ出版
売り上げランキング: 686766


おれはFFがあまり好きではない。車の話をすると一回は口にするので、何度かクルバナをした人は「また言ってるやん、こいつ」くらい思ってたかもしれない。

ただ、嫌いな理由はあるにしてもそこまでいやがらなくていいんじゃないかと思うこともある。



というわけで、たまにはFFについて向き合ってみることにした。

まあ、本書は主に歴史的な経緯についてなのだけど、FF普及の件だけ見てるとますます乗りたくなくなってしまった節がある。何せ車だけは単なる合理性のみを求めない俺がいるから。

ざっくり言えば技術が進んだからFFが増えた訳だ。しかし、その背景にはオイルショックや環境への配慮、人の好みや運転と人間工学の関係などが重なりあったこともある。つまり合理性だ。例えば、ドイツのアウトバーンのように直進するだけの道であれば駆動と操舵のベクトルがニアリーな方が安定して走れる。とすれば、後輪を回すため(at フロントエンジン)のシャフトがないFFの方が安く作れるしキャビンも広くなる。
また、FFに顕著なアンダーステアという特性はコーナーを曲がる際に人の五感デザインと上手くマッチする。要するに、アンダーとは曲がりにくい現象。従って、曲がらないと認識すれば自然と人はブレーキをかけるということだ。

かつてエンジン位置と駆動輪が同じものでFFとは逆のRRというものがあった。新しい技術であるFFの出始めは、以前からあったRRを採用しがちであり日本もその例外ではなかった。経過だけを見ればFFにシフトしていくのだけど、この流れがヨーロッパ、アメリカと来て日本に推移する点は正直複雑。なにせ車以外の他の歴史もそう言う発展傾向だからだ。と、それは今おいておくとして。ではRRがFFに代わってく理由は何か、大きくは二つ、視界の関係で荷室は後ろの方がいいことと機械部分の一極集中である。この辺が俺の価値観と逆で、前者に関しては車に荷物は乗せたくないのでどうでもいいし、一極集中はテレビデオの頃から嫌い。

そうはいっても、今や車は一人一台の足であり、フィットやプリウスの販売数を見れば何が求められているかは一目瞭然である。かつて隆盛を誇ったFRもラグジュアリ&スポーツの一部でしか見られず、ハイブリッドや電気自動車では機構的にメリットも薄いことがわかっている。そう考えればここ四十年で伸びてきたFFはこれからも主流でいるだろう。

MTがATになりCVTに移行してFRはRRからFFと移行して、エンジンもよりダウンサイジングと安全/環境性能が加速する。何だって変化をしなければ生き残らないことは確かで、多様性の中で変化は起こるのも事実だ。人々は合理的でないだけに世の中が成り立って流動する。しかし、トレンドはより合理的な方に向かっていき、数少ないマイノリティが歴史を学習してマジョリティを牽引していく。後ろから追い立てるのではなく前から引っ張っていく、その様はまるでFFのようだ。

Powered by Blogger.