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てきとう

子どもの名前

よくいわれる事です。なんて名前を付けているんだと。

ただ、俺にすれば人の事なのでどうとも言えませんけど、あまり名前に固執するのもよくないと思います。今でこそ名字もあって、生きている中で名前が度々変化する事もないですが、昔はそれはそれは適当だったと思います。



名字の由来とか、大して考えてつけたと思えるものは多くありません。例は出してるときりがないので控えますけど。俺の名字とかも割とメジャーな方で、日本の田んぼ的なイメージしか湧きません。あと水の神様とかに似てます。英語にする時はtotal / peace / harmony / japanese+field とか無理矢理できそうな、そんな気もしますが。

で、外国と言えばファーストネームでみんな呼び合ってますが、俺はファーストネームで呼ばれる事はほぼありません。親や親戚には呼ばれますが、くんもちゃんもつかない事はまったくありません。なぜか誰も呼び捨てにしないのです。なんとなく呼び辛いんでしょうね、親しみと言うか可愛げがないから。

若しくは、ローマ字で書くとどっかのCD屋さんみたいになるからでしょうか。

TATSUYA

TSUTAYA 

一瞬どっちがどっちかわからなかったよね。

まあ、それでも自分の名前に不満を持った事はないのでどうでもいいんですが、もしあまりに激しい名前だと呼ばれてるうちに人間性まで引っ張られるように思えます。
各国で姓名判断は様々な形式をとりますが、音で判断するようなものも少なくありません。例えば俺の名で言えば半分以上がた行で占められています。一般的にた行は忍耐とかのイメージだそうです。実際は全然ないんですけどね忍耐力。あくまで音としてはそう聞こえるみたいで。

なんにしても、死んだら墓には戒名が刻まれるわけで、生きてる間の数十年借りてるような名前ですからね。大事なものと思えばそうかもしませんがそれ故に悩まされるのは困ります。
俺の親父は、早くに亡くなったおれのひいひいじいさんくらいの名前を付けられたという事を聞いたことがあります。それが原因かはわからないけど53で死にましたからねえ。
親の勝手でつけるんだから責任は重いんですよ。好みとかその時の流行とかではなく、一応は意図を持ってつけた方がいいです。

エラそうな事言ってますが、おれのファーストネームは近所の神主がつけたんで、どんな意図があったのか全然分かりません。だからといって意図が気になるかというとそうでもないし、なんで親が決めてくれなかったのかとも思いません。
小学生の時、名前には親の思いがこもってますと習い、その名前に込められた理由を聞くと言う宿題が出た事がありました。恐らくそういう事がない限り一生考える事もなかったことです。ただその時なんて理由書いたのかは思い出せません。
他の家がどうなのかは知りませんけど、意外にそこまで深く考えて名前を付けてる家は教養があると思っていいんじゃないでしょうか。

俺が名前を付ける時期はまだ先だろうけど、どんな名前を付けるのか想像もできないですね。


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