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押型

型にはまった人間、と言うと随分聞こえが悪い。しかし、多くの平均的な人は大抵そうである。

世でいう個性的などというのはその器のガラがちょっと違う程度のものだ。ほとんどが押型によって形作られ、いくつかのパターンで分けられる。色や模様が違っても触れば差がないし、暗がりだと見分けがつかない。

生まれた時から型に流し込まれ、いい具合に固まるのを待っている。だからこそその人を表す言葉が広く抽象的な表現で足りてしまう。



血液型ないし占星術の類がなんとなく当たった気になるのはバーナム効果と、広くカバー出来る統計のやり方にある。従って、ハナから正確不正確で議論するのは違うように思える。

ところで、なぜこんなものが世間で話題になるかと言うと、それだけみんなの目を気にして生きてるということなのではないだろうか。
人間という不安定な存在はその実を把握すること難しく、何年経ってもみんな仲良しには至ってない。そういう中では、こういう枠の人はこうとか、ああいう枠の人はああと適当にソートしてしまえば随分と都合がいい。おまけに自分のこともこうだと決めてしまいやすい。日本人は特に我を出すと面倒くさがられることが多いから、何かの分析結果に基づいて客観的にいえば批判が少ないと思う節があるような気がする。

でも結果的にそういう周りの話に耳を傾けすぎる人がトップに立った時の反応を見るとどうだろうか。批判が出ていないなんてことはなく、どうしたいのか解らないだ、自分の意見はないのかと我を要求される。
我が儘で生きてきてもそれを是正するように注意され、いざ聞く耳をもてば意見を出せと、世論なんてのが如何にいい加減か。

目はただ見ているだけなのに

少なくとも俺は見るものを誤らないでおかねば。

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