2010年代初年の終焉
今年も残すところ二ヶ月を切った。世間では年賀状の販売も始まり、さも当然のように来年を感じはじめている。しかしどうだろう、昨日までのように今日を生き明日があると思うのは慢心とはいえないだろうか。
昔話のように夕焼け小焼けでまた明日とはのんきに歌ってられない。
そんな風に危機を煽ってどうする事も無いのだけど、政治も経済もぱっとしない状況が続き、冷静でいるだけが正解なのか疑問に思う日々。
今の日本ももはや技術「大国」ではなくなりつつある。かつてのように日本でのモノづくりに限界が出てきだし、テレビメーカーも箱詰めがメインになっているそうだ。確かに、長らく円高傾向で日本の税制や人件費を考えると、ある程度高止まりしたスペックから言えば、わざわざ微々たる機能向上を必要としない。従って海外パーツを詰め込んだ日本銘のガワ製品で十分なのも納得できる。
そんな風に危機を煽ってどうする事も無いのだけど、政治も経済もぱっとしない状況が続き、冷静でいるだけが正解なのか疑問に思う日々。
ゴールドマンは俺が知った頃にはかつてのゴールドマンとは違った姿だったようで。
一方で大型インフラは多くの新興国や先進国でも需要がある。新幹線、原発、水などは日本の信用も高い。まあそれもいつまで続くかわからないけど、ただ只管にものづくりを推してみたり、金融立国を叫んでみたところで本当にそれが優位性として維持出来るかかなり不確実だ。教育環境とかから考えても電気絡みはあんまり期待出来ないように感じている。
現代人は忙しい。家電によって便利になったと思えばかえって仕事が増えてる。川へ洗濯には行かなくていいし、芝も刈らなくていいはずなのに。何かを機械でオートメーション化しても、そのエネルギーを代替するために燃料を調達し、もとより時短分の余剰エネルギーを補うべく自然環境にその負担をヘッジしている。
何もしなければ浮上しなかった生物多様性の保護も科学の進歩から言うと二度手間や逆行と見れる。何がしたいかわからないのは夢を失った若い人だけでなく、今まさに世界を動かそうとしている人も同様端からすれば結果は同じ。
余計な思案はするだけ無駄。結局のところどんなに理屈をごねても強すぎる本能が出てくるとそっちが優先されるんだから。むしろ押さえれるくらいのものは信じてはいけない方の直感なんだよ。
It's intuition in the end.