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だいたい六年

 久々に、年も変わったことだし、百数十文字の枠を超えて文章でも書いてみよう。


いろいろなやる気を失って、たまたま出会った乃木坂46のおかげで何となく日々をだましだましでも過ごし始めたのが2016年末。そこからしばらく乃木坂ちゃん乃木坂ちゃんといってきて、まあ推しの卒業もありーの、今日最後の一期生が卒業を発表したわけである。よくわからんけれど、おれのライフサイクルは六年という区切りを意識させられることが多く、前後微妙な誤差はあれ、その周期で生きてる。習い事、好きになるもの、意識的、体力的なこと。奇麗にサイクルを回すというより、クロスオーバーしながらではあるにせよ、まあ乃木坂ちゃんも例にもれずといった具合。


もちろんこれを境に急にどうってわけではないし、逆に自分の中でもうそろそろそういうタイミングなんて思い出した面が否定できないこともない。単純に興味を持てる期間がそのくらいの人間と言われればそうなのかもしれない。意図するしないに関らず、気付けば次の六年次の六年とつないできている中、では今もっている何が先の六年かというものが思い当たらない。


何もなくなるのが不安なのかといわれればそうでもない。時間的により限られていく上では余白も必要なフェーズだろう。偶然にしろ出会ったものに惹かれてはまってという流れは最後の可能性もある。いいところ6年一回りで72まで生きるとしても折り返したあたり、家系的な寿命からいっても60まで生きて半分無い。体感はこれまでの37年の半分くらいと思えば選択は知れてる。


どこまでいっても暇をつぶしてるだけに、こう、幸せになりたいであったりといった希望的な何か期待に向かってがモチベーションとなりえない生き方だとそのへんやっかいなんだよね。日々目先は推しの舞台見に行くとかで短期的につないでとか、スキー行く、車で遠出するみたいなのも多分終わりが来るわけで。いよいよつぶしが利かなくなるとゲームオーバーって感じ。


まあそうだね、春になるまでになにか

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