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夏曲のカップリング

10代最後の夏は車の免許を取りました、20代最後の夏はドローンを手に入れました。平成最後の夏は特に何も起きなさそうです。当たり前ですけど、最後だからって何があるわけではありません。

終わりの意識が何か気の利いた作用をするかというと、それは妄想であります。というか、そうであってほしいという期待ですね。

ぼくは中二病の後遺症があるので理解できますが、最後っていうのはなんかいいわけです。退廃的とでもいいますか、大サビの転調みたくグッとくるんですよ。最初や最後といった端の美学が自然とあって、真ん中をないがしろにしてる。

これが節々に出まして、CD、最近は配信も増えてますけど、曲順なんかにも影響あるんですね。表題が真ん中としたら、その脇にカップリングあるでしょ。だから好きになる曲もその辺みたいな。よく言えばアーティストの音楽性を理解してるとも取れますが、裏を返せば市民迎合は薄い。

志向は人生の部分なんで、様が濃く反映されます。ど真ん中な生き方は端っこ思想だととてもできません。多分金も付いて来ませんし。

役といえばそれまで、生まれたものの価値とはなんとも適当なのです。人に限らず
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