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「みんな」を主語にする話は聞かない

誰の話してるんだろうって人がたまにいるわけです。いい大人だったらなおのこと、基本は自分の持ってるネタで会話を展開してほしいもんですが、人生の長短に関わらず、中身が伴わないとそれができないケースが出てきます。

みんな、に限らず、日本人でもいいですし、関西人でも社会人でも、とにかく特定のコミュニティを示す枠を主語にした場合は期待薄な展開と想像ができます。

言い方は悪いですが、アホな人に限ってこれをやりがちになります。もちろん全く自分はやらないかといえばそうでもないですが、頻度という点においては明らかに差が見られます。

お前の意見はどこにある

そこがわからないと、じゃあ特定の誰かじゃなくて同じ情報を持った別の人でもいいよねってことになるわけです。それは組織の長でもなんでもそうです。できたルールに沿ってもうすでにあるものをあるがままに伝えたって、聞いてる方は「知ってる」としか言いようがありません。その人だからこそ口にする意味があるくらいじゃないと、昨今など特に聞いてもらえないように思います。

みんな明るくて感じのいい人が好きでしょ?って暗くて屈折してる人が好きな人を前に理解を求める的な。なにそれ、どこかの政治家みたいに丁寧に説明でもしようってか?

また似たような例で、賢い人に言葉足らずっていうのがあります。

同じくらいの知識情報量だと、ここは端折っていいという謂わば常識見たいのがあるんですが、その常識こそが厄介で、結論を言えばレイヤーが存在します。この層ではその常識のフェーズで足ります、この層ではそれは常識ではありませんといったやうな。そこを無視して、全レイヤーに横断した常識あるでしょ的なあれ。自らの無知を恥じろ

ただ、その階級意識が逆に言えば全てで、みんなで表されるほどに多い母数集団と、特定の誰かが見えるクラスタではやり取りの質そのものが変わると言う話です。

と、特定のコミュニティを主体にして締めを語ったところでおしまい
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