Header Ads

説明書に無い意味

テクノロジーの利用において、年々ブラックボックス感は強くなってきました。これはひとえにデジタルの成果な訳ですが、エラーの解決がよりソフト的になり部分対処が機能しにくくもあります。

例えば、車なんかも昔はなんとか故障しても自分で直せた〜みたいなことをおっさん連中よく言います。ぼくが免許とった頃にはすでにボンネット開けても何も見えませんでした。そっからスタートだと中身の見えてるものでもいざ自分で直そうとはならなそうなもんです。ただ、故障や不具合の度にいちいち修理なんか頼んでられないし、コストもバカになりません。

二年前からドローン飛ばし始めて、墜落は一回で今のところ済んでますけど、その時もとても修理なんて自分ではできませんでした。修理に限らず、接続不良なんかもハードからのアプローチではさっぱり解決しないケースも多くあります。もちろんぼく自身の知識経験不足は大いにありますが、そういったイベントサンプルの数もまだ不足しているように思います。

車一人一台、パソコン一人一台、スマホ一人一台とまあ時代を追い、そこにドローンが来るかはわかりません。しかし、個人持ちが進んだからといってその対象に詳しくなる人ばかりではありません。大概の人は車がなんで走るかも、GPSがどういう仕組みかもわからないでそれぞれ利用しています。それはそれでいいです。

説明書に関しても、分厚いどうのという話から、iphone以降、わからない何かはスマホから検索で多くを包含できています。知らないわからないのフェーズから、検索できるできないというフェーズになったわけです。更にいえば、日本語で見つからなくても多言語にはある場合も増えました。特に技術的先進的なことはやはり英語が多く、共有するだけの母数が影響してるのだろうと思います。

そもそもでいえば、コモディティとプロユースで違うって話なんですがね。どこまでの知識を前提とするかでいえばいくらスマホの延長っつってもドローンはまだハードル高いかもしれません
Powered by Blogger.