Header Ads

咲いて散るまでが桜であるように

最近、深イイ話かなんかで、まいやんがまた密着受けてて、今世紀最大に売れた写真集ということで取り上げられていました。そこで、ずっとこのお仕事続けるつもりはないみたいなことを言ってて、ああ、こういう所が良いんだよねえと、何とも言えない気持ちになっていました。

ぼくなんて、いうてここ何ヶ月でハマった新参なわけですけど、そもそもアイドルにハマるなんてことはかつてなかったんですよね。もちろん資本投下のレベルで言えばハマるなどと言えないフェーズだったりしますが。とにかく、何がそうさせたのか、自分でも不思議に思っています。

ひとえに、それは彼女たちのスタンスに要因があるのではと推測します。

誰と限った話ではないですが、多くのメンバーはアイドルやりたくて入ったわけではないみたいですし、あくまでビジネスという線上にあることがぼく的におさまりが良かったのかもしれません。

B線上のアイドル

はい

で、特にななみんの例でもはっきりしてましたよね。これだけ提供できます。これだけ受け取ります。基本的な交換の媒体にアイドルを置いたっていう感じ。その縮図がトリガーになった可能性も大いにあります。ぼくがハマる琴線としての。

例えが不正確で、且つわかりにくいかもしれませんが、食物の部分摂取と全体摂取に近いようなイメージもあります。大概の芸能活動を目にするにあたり、デビュー以降は並行して活動を追うわけで、徐々にフェードするケースになれています。初めからある程度の期間限定感を孕んだ受け入れ方はそういう意味で新鮮なのでせう。

終わりの意識というのは近代の歴史においてカジュアルじゃなくなっていて、その代表は死でもあります。桜の散る様に人をスケールすることが多いように、本当は続かない自覚をいつもどこかに持ってるんですよね。そこを紛らわせてるというか

ええ、もう何言ってるかわかんないと思いますが、好きなものって分解するとそういうもんでしょ。どこが好き?って全部って答えるでそ
Powered by Blogger.