Header Ads

心の支えはいつも変わる

十代の前半までは支えるほどの何もありませんでした。後半になると抱えるものもできたのか、漫画のセリフやなんかを支えにしていたように思います。二十歳過ぎてからは偉い人の言葉や何かにすがるくらいには支えを必要としていました。今は乃木坂が支えです(これがいいたいだけ)

基本はこんにゃくみたいなメンタルしか持ってませんからね、ぼく。よほど追い込まれでもしないとまともにがんばれないわけです。それでも崖っぷちには立ちたくないから追い込まれる前になんとかしないといけないとなると、それはやはり支えがないと駄目。

これ、持論なんですけど、小学生くらいのときに引き返せない横スクロールゲームがストレスじゃなかった人って、比較的外部に支えを必要としない人が多いんじゃないかなあなと。それは選択と決断に責任を持つために必要な要素で、ぼくはその感じ苦手だったんです。

いいおっさんが十代から二十代前半のアイドルに何を感化されることがあるのかって、ある種の戒め的な面もあると思うんです。うそかほんとか泣いたりもしませんし、一生懸命さとかパラメータ外ですからね。一歩二歩と進むのが見て取れると、自分の成長の無さもあってなんとも言われない気持ちになります。

ああ、これではいけない

支えって言ってもいろいろだと思うんです。ほんとに立てないとか、更に前に行くための補助とか。それがたとえわからなくても、何かそこにあると思うとやっぱり違うんですよね。必要になった時に出会うっていうのはたまたまじゃなくて、そうなって初めて周りを見た結果でもあるわけです。

いらないっていう人も多分それは傍にあって、手を取るか取らないか、またどれをとるかっていうだけのことだと思います。一昔前なら家族がそういう役割を果たせてたのかもしれませんが、これも状況によりけりでしょうね。
Powered by Blogger.