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「何を」知ってるかではなく「いつ」知ってるか

先入観はウソをつく (SB新書)

太陽を赤で描くのは日本ぐらい、というのが本書にありました。

ぼくはまさに高校生時分まで太陽は赤で描いてました。なんでそんなはっきり記憶にあるかと言えば、美術の授業で風景を描いたとき前の席の山下君に「太陽赤でぬんの?」って言われたからです。

それまでは疑ってすらなかったというか、他の人が何色に塗ってるのか気にしたこともありませんでした。それこそ模写ではなくイメージが先行していてアニメとか図鑑を基準にして勝手に描いてましたからね。だから今思えばそれを許容した教師と受け入れない教師で点数が大きく変わってたんでせうね。

ただ、じゃあ太陽は実際何色かって言うと赤ですよね?

地上から見れば白とか黄色に見えるわけで、どっちが先入観なのかって気がしないでもないです。美術としての評価フェーズも科学的な事実フェーズでもいくらでも語りようがありますし、何を前提に観を持ってるかだけのことでしょ。

特に、生まれたときから観測結果としての太陽を知っておきながら今目の前の太陽をどう塗るかと、一方で芸術的価値から言っていかに実写に近づけるかに何の意味をもつのか。また、その折り合いなどという平行線の議論に需要なんて無いと感じます。

つまり先入観がどうのというより、タイミングによって何もかもが変わるわけです。ある人はこれを運と認識し、またある人は実力と勘違いします。そのギャップは先入観ではなく教養なのかもしれません
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