Header Ads

問題提起は誰かの儲けのためのマーケティング

欲望は人が人たる理由であります。文明などといくら何かを積み上げたところで、根源にあるものはその辺の動物と何も変わりません。言語を使い、様々なものを記述できるようになって、そのトラックが残ることで時間を認識しましたが、その技術でもってしても実現するものは欲望の塔なのです。

さて、暦も変わりしばらく、巻き寿司に始まった本格的な商レース。早くも話題はチョコになっています。その売上に占める割合は、単純な男女の需給だけでなく、家族、義理、友達、さらには自分と年々範囲を広げています。

オリジナルの歴史などがないがしろになるのはもはや異例ではなく定番で、時勢とともにまた考え方のトレンドの変化に沿ってそのイベントとしての体をなします。

当初はバレンタインももらうあげるといった単純な構造でよかったかもしれませんが、XX離れといったように、市場の先細りが見えてきたら次を打つ必要が出るわけです。それが友達だったり自分だったり、まるで自然発生的にそうなったかのようにメディアも伝えてきます。

一種のサイクルでもあるわけですが、順繰りするにもある程度スパンを持たないといけないので、例えば温暖化に見られる現象も一時は盛り上げ、一時はそうじゃないと言わないと業界が波打たないんですよね。

目先、なんとかダイエットだ、スーパーフードだ、医療用大麻だというのも昨今急に出てきたわけではなく、今わかってる中でどれがまだきてないかというレベルの話です。ARVRもそうですね、一時期ブレイクさせようとして無理だったから日を改めてというだけのこと。爆発するのはたまたまテクノロジーの進化とミートした結果にすぎません。

つまりコンテンツの差はタイミングとサイクルである程度決まってしまうということです。マーケティングにスケールして言えばコンテンツはブランド、サイクルは認知、タイミングはディストリビューションということになるでしょうか。

なんてことをUSJの本見ながら考えてました
確率思考の戦略論  USJでも実証された数学マーケティングの力
Powered by Blogger.