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ストーリーが大事というストーリーの中身は見栄である

売れる商品やサービスにはストーリーがある、というのが言語化されて久しいです。確かに、開発秘話やCM、それに付随する有名人とのタイアップなど、単体では見えてこない部分に魅かれるのは理解できます。

かつて一眼を買った時も、あまり知識がないままにCMであおいちゃんが出てたから決めたぼくがいますからね。家電や車のように使用頻度が高いものは使ってる自分とイメージを重ねたがるので、特にわかりやすいストーリーが効いてきます。

クラシカルなブランドも、ヴィトンなど一昔前にはホテルでの対応が変わるだの言われた時期がありました。ゴヤールはピカソが使ってたと言われますし、各国のセレブが持ってることでプレミアムが跳ね上がるケースは多くあります。

逆に言えば、自分の不足を埋める要素として世間のバリューを利用するわけです。そこにストーリーという論理を持ち込むことで説得力という名の見栄が立つんですねぇ。

ただ、ものを利用したポーズに威力がなくなってきたのもここ数年明らかで、一般的にいう〇〇離れがいい例です。ここにはもはやストーリーの介在余地はなく、相対的な価格の優劣だけが存在します。これが市場原理ではデフレにいきやすいメンタルとして現れます。

一方でインフレによる金余りは、新しいアイデアと暇つぶしをストーリーのない商品やサービスで埋めることとなります。要は課金ゲームと消え物です。

麻生パイセンが
「金持ってねえんだから離れるだろ」
と、ど真ん中ついてましたが、その通りです。

メインは理由がないものに金が流れるようになっています。

資本主義のアップデートという人もいれば、資本主義の終焉という人もいて、とにかく変化の時期にあるようです。これに際し、自分が今までの延長で考えるか、根本的に発想を転換しないといけないのか、その辺が重要なんだろうと、サイバーマンデーブラックフライデー見ながら思っていた次第です

ああ、雨の日曜日
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