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歴史の年号を覚える理由

結論から言いますと、いつ何が起きたかを知るためではありません。

睡眠時間であれば、いつ寝たか、いつ起きたか、どれくらい寝たかと考えるように、数字で追うには理由が存在します。数学の文章問題を解くのに国語力がいるように、歴史の学習期待は数字で加速できるわけです。

ぼくは一時歴史の年号なんて意味ないと思っていました。それこそなんと710だなくよ794だいいくに1192だと、よく恥ずかしげもなく言ってるなあと。



スポットからスパンで見るようになったきっかけは社会の先生が
「平安時代は江戸時代より長いですからね〜」
といった時でした。なぜかそれが意外だったんですよ。徳川何代もいてものの百何年前まで江戸だよ?っていう意識にバイアスかかってたわけです。

繰り返す歴史というカビの生えたフレーズをにわかにバカにしつつ、一方ではシクリカルというのも部分肯定するに至る根拠がなくはないです。例えばエンゼルバンクという漫画で国の制度は200年で寿命が来る的な話が出てました。
エンゼルバンク ドラゴン桜外伝(6) (モーニングコミックス)
現代は変化が早く150年というのも明治維新以降を指して言ったものでしょうね。

つまり、フレームを理解して数字でパターンを見つける作業が大事になってくるといったとこでしょうか。これがまあ端々まで誰かが見つけてもいいわけですけど、意味があるかないかを決めるのを他人に任せてたら、どうにも自分は置いてけぼり感があって嫌なんですよね。

同じものを見ても違うことを感じるというのは、ある種才能というかセンス的なサムシングでもあるんですが、こういうのは見つけてはい満足じゃ意味なかったりするんでその辺をどうするかが努力だったり継続だったりするのかなあなんて
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