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観光化される前の姿

送り火というと、最近ではすっかりメジャーなイベントの様相をなしています。もともとは地元の催しで盆の終わりに先祖を送る意味で始まったそうです。ではいつから人々が遠くより出向くまでのものになったのか。

起源は平安時代とも江戸時代とも言われているそうですが、周知されだしたという意味では情報の流通から言って江戸になるでしょうね。ぼくはネオ桃山幕府というゴエモンシリーズのゲームではじめて知りました。小6の頃でしたか。



はっきり何時から燃やしますというのは1963年に観光業界がタイムテーブル組んだようです。この辺でスケールが全国規模になって金の匂いがしだしたわけです。ただ、それは自然なことで、みんなが見たいと思うようなものは誰かが共有しようとするもの。世界から秘境がなくなるのも同じ現象です

したがって、いざアクセスも良くなって手軽に見れるようになったものが本来の良さを持ってるかはわからないわけです。もちろん、人の手が入ることで見栄えがするスポットもあり、一概に何がいいとはいえません。背景があるスポットならやはりその背景を知って行ったほうがギャップを楽しめることもあるのです。

昨今多様性などとよく言いますけど、田舎のお祭りなんかは奇怪で、それこそ倫理に引っかかるようなレベルのものも多くあります。一般化すればクレイジージャーニーのような番組として出来上がり、少し見やすく世間の目に触れることとなります。

そう思えば、観光とはなんとも不思議なもので、いいなと思った情報の確認作業的な面がとても大きい。あくまで体験に重きがあって、初物発見的な部分とは違う脳領域に快楽物質が流れているんでしょうかね。

まあ頭で旅するわけじゃないですし、初か初じゃないかは脳が決めることなのかもしれませんから
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