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意識という名のブラックホール

直接観測できない代表、なのかは知らないが、とにかく間接的にしか見えないBH。理由は言わずともという感じであるからして、では大概の直接見えない何かは何らかの間接的方法で観測可能かどうか。特に、意識なんてものは見える見えない以前にその存在のあり方が記述的なのだ。定義といえばそうで、どうにも形而上的で分かりづらい。

確実にある、というには物として無い以上、見えるという表現もいささか微妙な気がしてならない。現象は脳の電気的な信号として顕在化させることはできるけどね。それを人の行動と関連付けても外堀が緩い。

表現の限界が意識下と言ってしまえばそれまでで、意識のあるなしに関わらず他人なしに語れない。死んで語るものが墓くらいだとしたら、墓は意識の外部出力になり得るのか。近い話を養老さんの本で読んだ気もするが、日本だとテンプレートがあるから、少なくとも庶民のレベルでは微妙だよね。

奈良住まいの俺は、そこかしこにある古墳に意識の影を見てたらもう真っ暗になっちゃうね。どの墓からも俺が俺が言うて、ろくに道も敷けねえわって(違

ただ、大げさにいえば意識が脳に宿ってるなら脳を主体とした諸々は意識の写像でもある。料理もそうだし、手書きの履歴書()も、なんでも。そう言い出すと収拾はつかないけど。なんだかそんなものを積み重ねて人工物と自然を分けてる気がする。
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