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スピーカー選びに見る、人生における幸せとは

このところ、暇があればスピーカーの試聴をしてます。あれもいいなこれもいいなって、懐の限界もさておき、なかなか決められずにいます。認めたくありませんが、高いものは相対的にいい音がしてるように感じてしまいますね。あくまで、相対的というところがミソですが。

よく隣の芝は青いってな表現しますけど、その通りですね。見だしたらきりがありません。こっちはクリアに聞こえるけど広がりがないな、ワンランク上げるとその広がりも出て、でもこれはこれでちょっとこもるな、とか。欲しいものがはっきりしないと迷ってばかりになります。

人生も大げさに言えばそんな感じでしょうか。

なんでも求めると結局オールマイティでつまんないとは、つまり個性の話ですね。スピーカーも人生も良い悪いはなくて、それぞれそういうものとしてあるだけなのです。図るスケールが全部違う。

ある種そういう意味では答えが見つかってるとも言えますが、だからこそ主観しか役に立たないわけです。自分はこれが好きという前提。客観的な評価は結局その集合の共通部分でしかありません。

世にあるノイズというのはその共通項へ訴えかける「らしさ」であって、根拠ではないように思います。ハイレゾや出力の大小等、数値で語ること(定量)が賢く正しいみたいなのが流行ってるのも、情報過多社会のノイズ部分でしょうね。

デジタルデトックスなんて言われますが、結構バカにできないです。情報の海という巨大な水たまりへ一度泳ぎ出せば、どっちが陸かわからいなんてことにもなりかねません。そして下手すれば陸に上がれずに、その情報の海に沈むのがオチです。

かくいう俺も例に漏れず、何が好きなのか、スピーカーに限らずわかってないことが多くて、ことあるごとに迷ったり躊躇したりしてますね。

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