年をとるとほんとに感動が薄れるのか
若いうちの経験が、同じやるにしても年取ってからより効果的と言われます。それはおたふく風邪や風疹のような現象の逆だと理解すればいいのでしょうか。まあ単純な資産効果なのかもしれませんけど、とにかく、微妙な年齢にいる自分としては歳並の経験なんてことを言われたら偏りも激しいわけです。
スポーツでもなんでも、ショートヘッドに入るには小さい頃からの積み重ねに多少の相関はあるわけです。ただ、日常的に楽しむ分にはそうでもありません。
例えば、俺はスキーを7,8歳の頃からやってました。まあ独学でしたけど。それでもそこそこ形になってました。しかし、中二の修学旅行でスキー行った時に、全く初めての人でも数日で、俺ほどでは無いにしても、その数年を埋めるくらいは出来るようになってました。
つまり何が言いたいかというと、感動が薄れるというより、それぞれの経験において実現可能性が年々上がるから、苦労してできた感が弱まるということです。
確かに、もっと突き詰めてとかエキスパートなレベルに行こうと思うとわずかな差が効いてくると思います。上位何パーとかいう世界では努力とかかけた時間だけで勝負が決まるほど甘くはないですけど、そもそもの前提としてそういう要素ありきですからね。だからこそ感動も人一倍な気がします。
ともすれば、がんばれないことこそ年をとることによる経験の効用の薄さの原因ではないでしょうか。物事への取り組みがいろんなアプローチでもってできるようになり、それがその人の価値を上げている一方で、経験に求めるハードルが上がる。というこれこそが加齢によるトレードオフとも言えます。
年齢が上がるほどにできることが増え続けるわけでもないのが妙味と言っていいかもしれませんが、安易に不具合を年齢のせいにしたくはないですね。仮に年齢の影響があったとしてもそれを最小限にするのが生きてるということだと俺は思います。
スポーツでもなんでも、ショートヘッドに入るには小さい頃からの積み重ねに多少の相関はあるわけです。ただ、日常的に楽しむ分にはそうでもありません。
例えば、俺はスキーを7,8歳の頃からやってました。まあ独学でしたけど。それでもそこそこ形になってました。しかし、中二の修学旅行でスキー行った時に、全く初めての人でも数日で、俺ほどでは無いにしても、その数年を埋めるくらいは出来るようになってました。
つまり何が言いたいかというと、感動が薄れるというより、それぞれの経験において実現可能性が年々上がるから、苦労してできた感が弱まるということです。
確かに、もっと突き詰めてとかエキスパートなレベルに行こうと思うとわずかな差が効いてくると思います。上位何パーとかいう世界では努力とかかけた時間だけで勝負が決まるほど甘くはないですけど、そもそもの前提としてそういう要素ありきですからね。だからこそ感動も人一倍な気がします。
ともすれば、がんばれないことこそ年をとることによる経験の効用の薄さの原因ではないでしょうか。物事への取り組みがいろんなアプローチでもってできるようになり、それがその人の価値を上げている一方で、経験に求めるハードルが上がる。というこれこそが加齢によるトレードオフとも言えます。
年齢が上がるほどにできることが増え続けるわけでもないのが妙味と言っていいかもしれませんが、安易に不具合を年齢のせいにしたくはないですね。仮に年齢の影響があったとしてもそれを最小限にするのが生きてるということだと俺は思います。