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マーケットの評価という正しさ

株価がいつも正しい値段で取引されてるかというとそうじゃない。だから毎日正しいらしい水準に向かって変動している。

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心理的な要因が入ってくる以上、マーケットは常に合理的な訳ではない。しかし確率が試行回数とともに理論値へ近付くのと同様、株価も時間とともに理論値へ近付いていく。

ところで、おれはすき家で食事をしたのは二、三回なので印象も何も無いのだが、まさかそんなに長時間働いてる人がいるとは想像もしていなかった。世間的には競合他者との比較でどこの値段が安いくらいにしか思ってないのだろうが、一度問題が起きればなんだあの会社はと急に態度を変えてくる。市場評価が正しくなかった例でしょうか?

ただ、成功者の本を読めば若いうちは過酷な労働に堪えてきたみたいな話を書いてるし、単純な人はそういうものかと目をつぶってきた現実があるんだと思う。メディアが煽って便乗する人がとても多い。大多数に紛れる安心で何言っても正しい空気が生まれる。最悪だね。

組織の中でも体育会系が礼賛されるようなところは大概それと同じ。理不尽という我慢大会に耐えてきた思考停止が利用価値あるんだろう。ちょっと上の世代でもそんな感じで来たから同じような奴を評価しやすい環境になってる。

スポーツを見てても日本人選手は声を揃えて自分たちのサッカーという。多少の差はあれまずインタビューで聞く言葉だ。俺は全然興味ないにも関わらずそれでも耳に入ってくるくらいだからよっぽどこの言葉を使っているはず。いまだにその意味が分からない。海外の選手でそんな同じワードを使う人は聞いた事が無い。

それはつまり自己責任でプレイしてない結果だと思うね。スポーツも仕事も日本は枠の内で何でも納めようとするから、共通言語で価値を縛らないといけなくなる。外国人が日本で買い物をする時に融通か効かないというのも、小売りの窓口単位では何も権限を持っていないからということに尽きる。ルール通りにすれば会社が守ってくれるという安全神話で対外的に責任を負わないようにする。だからそこにいるのは誰でもいい。結果、人事は機械的になり採用は定例的になる。

日本は二十年かけてそのぐずぐずを証明してきた訳だ。こればっかりは人の意識の問題だから二十年で止まるかどうかは知りませんけどね

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