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繊細という驕り

今期のドラマでブラックプレジデントというのがある。突飛なテーマや話でもないのだけど、軽快でなかなか面白い。数字はどれくらいあるのか知らないけれど、こういうドラマが人気であればあるほど現状に違和感を持ってる人が多いのかなあと思う。

近々のテーマはセクハラだった。セクハラに限らず、世の中の常識というか世間体は弱者の救済みたいなのに正義を見いだすことが本当に多い。自分は正しいことやってるみたいな一種の承認欲求というのか。とにかく、人と比較して優れてると思いたくてしょうがない。要は発想が子供で、いい年して自信が無いからそういう事になる。

罪に対する罰で執行人が排除される。叱るハードルだけが上がり、道徳は地に落ちている。何も考えてない人間がメディアだなんだに踊らされ、やれコピペが悪い、偽装が悪いと、悪を見つけては集団で叩く。皆でいじめれば糾弾されないし責任も取らなくていい。やはり子供なのだ。

悪いことをした時は自分が一番わかってる。そこに来て反省しろだ謝罪しろだと外野が言う話ではない。どういう教育を受ければこうなるかはおれも受けてきた側なのでよくわかる。わかるけどそれに従ってこなかった。自分自身が暴力に関して教師やマネジメントクラスに詰められた時も、世間の常識には引っ掛かったが道徳的にアウトだったかは違う話。

馬鹿の一つ覚えとはよく言ったもので、前例による体罰やパワハラの「悪」が確立すればどいつもこいつもそれを盾につけあがる。自分は弱く虐げられていると。なんだそれ。

成熟国や成熟企業では、如何に評判を落とさないかに力が注がれる。どんなに貢献度が強くても一度余計なことをしたとなれば芽を摘む。

小さい頃から守ってもらって大事に育てられ、困ったら大人が助けてくれてそれでどうやって強くなるんだろうね。結果弱いのと強く育てられないのは、そもそものスタートが違うのでどうしようもない。

殴られろとか、言葉で詰められることが大事だとは言わないが、それを受けていちいち敏感になるのは人生における損失でしかない。高いスマホを買って傷がつかないようにケースに入れてる人がいるが、始めの傷がつく時と三つ四つついた時ではショックが全然違うように、気に留めるかどうかは経験がものを言う。詰められ過ぎてると、勿論一方では折れることもあるけれど、大概の場合スルー能力が上がる。最近亡くなったあの方の言葉を借りれば鈍感力といえるであろう。

内々のことなら上下の関係でなんとかできて来れたろうけど、グローバルとか言ってる世の中でそんな弱さを見せてたら秒殺されると思うんだよね。別にグローバル関係ないとか思ってても外の世界はそんなのお構いなしに攻めてくるからさ、そんな時でもまだ誰かが助けてくれるとでも思ってるのかなあ。
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