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暇なら散歩すればいい

買いたいものも無いし、あっても金が無いなあという時は散歩でもすればいい。これといって趣味が無く、あってもシーズンオフだ、なんて時には散歩すればいい。知ってる場所でも知らない町でも、ただ歩いてるだけで何となく楽しい。車でもそうだけど、移動の手段となるだけでは楽しさなんて感じない。歩くという一番基本的な移動も、移動を主としない時には楽しくなるものだ。


10kmくらいなら二時間かからない。このあいだも出町柳からガケ書房というところに行って、そこから京都駅まで歩いた。まあ帰りしなに電気屋を彷徨いたから軽く10キロくらいは歩いている。つい先日も近鉄奈良駅から大和郡山まで歩いた。9km弱くらい。あんまり歩くと散歩ではなくハイキングみたいになるので適度に。

ただ、今の気候だから歩いても気持ちいいわけで、夏になるとこうはいかない。夏は夏でいろいろレジャーがあるからあえて散歩を選ぶにしても時間帯が限定される。昼の最中一番気持ちいいのは今時分だろう。

田舎の人は特に昨今、都会の人より歩かないとされる。都会のもやしっ子ではなく田舎のもやしっ子が出てくる可能性も無くはない。まあ子供に限っては田舎でも車に乗ったりはしないからそうでもないだろうが。とにかく、都会は都会の、田舎は田舎の歩く面白さがある。都会は町の変化がそうで、ここに道が出来たとか、ビルが新しく建ったという面。田舎は四季の変化がよりダイナミックに感じれる。

奈良や京都は建物があまり高くないから街を歩いていても遠くに山を望み、昔だったらもっと遠くまで見渡せたのかなあとか耽ってみても楽しい。かつての宮跡というか門跡の位置関係を思いながら歩くと歴史もリアルさが増したりするとかしないとか。

こういうと妙にジジ臭い気がしなくもないけれど、移動を移動としてだけ処理しているといろんな感覚が鈍ってくるように思う。効率を考えた人工物の上しか歩かなければ凸凹に対応する足は要らなくなるし、クッション機能は靴底にアウトソースされる。健康自慢のおれですら河原の砂利の上ではまともに歩けないほど弱い。

極端な話、はじめに道を敷いた人は土の上をベースに考えたが、アスファルトの上しか歩いたことの無い人はアスファルトをベースにものを考えるだろう。環境の意識はそう言う積み重ねだと思うよね。だから今、健康のためにというとウォーキングしてますとか言う人が出てくるんだな。昔の人からしたら何言ってるかわかんないだろう。歩かなくてどうすんのって。
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