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変わら無いねと言われるために、変わる必要がある

失われた20年ってなんだろう。おれは生まれてから28年ちょっと経ってる訳だが、8歳以降で何かを失ったという自覚は無い。確かに死ぬまでのライフゲージは減り続けているけれど、それはある種普遍的なもの。昨日今日言われ出したことではない。

ソニーの株価はおれの生まれた1985年に比べてどうか。このスケールで見れば失われたって程ではないように感じる。他の株価を見ても、ここ二十年で値崩れした銘柄はマーケットの3,4割だそうだ。日経平均の値上がりを見て景気が良いだのいうのは庶民感覚ではないと、テレビの路上インタビューでは言うが、それはそうだろう。しかし、値下がった時は景気が悪いと言ってる映像も度々目にした記憶がある。

景気ってそもそも何か?気というくらいだから天気や運気と変わらないんじゃないのか。要はそれを受けて自分がどう思おうとしてるかだけの話とはいえないか。日本の大企業を見て変わらないと思うとすれば大企業が変わり続けた結果、であるがそれを見る人は果たして何か変わって来れただろうか。
ソニーは変わった+それを言う人も変わったというケースで、もしお互いの変化量が同じなら変わら無いと言う話になってるはず。車離れはメーカーの生産量の相対的な増加、若い人の相対的な減少、どちらにしても変化量の差。自分にあった変化を求めるのは難しい。自分が変わったからお前も変われなんてのは違う。

車や酒、たばこ、他なんだろう。まあいろいろあるけど、離れていかないと次の時代って来ないんだよね。明治で刀を持たなくなるのを刀離れといわないのは法律もあるけど、多くがそれを認めるところに本懐がある。レコードからCD、CDからデータ。石盤、木版、紙、テキストエディタ。雑に言えばキャリアの交替を「離れ」と言うことで既得権的なものを良く見せてるに過ぎない。つまらんね、そういうの。

こんな時代を生きてきたとか言うより、目の前で今時代を創ってるとか言える人間でありたいよ、おれは。
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