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子供の俺は誰だ?

幼稚園の時に作ったサンタクロースのオブジェがまだ家に残ってて、シーズン的に顔を出してきた。改めて見ると自分で作ったとは思えない造形をしている。切ったり貼ったりした記憶はある。上手く丸に切れないなあと思ってた記憶もある。でも、なぜかしら自分が作ったという感覚が薄い。今の方が確実に器用なのに同じ物を作れる気がしない。科学的にいうところの再現性がない。

時に、子供はみんな天才だという。だからと言って子供にそのクォリティを安定させることは出来ない。大人になって行動に安定感は持ったものの生み出す物の凡庸さは明らかだ。あぁトレードオフ。

ずっと、俺は俺として生きているのに、二十数年の月日は俺を俺でなくしているような気がしている。いろんな物を、それこそ実際に摂取したものから内面的に積み重ねたものまで、入れ替わり入れ替わり。当然なんだけど、ある情報だけを残して確実に失っている質感がある。成長といえばそうなのだけど、例えば、絶対音感のように生きていく上で必要のない機能の退化といえば近い。大人になって持っていると稀少がられるのはそれだけ失うことが普通だから。

俺も幼稚園の時にはピアノを習っていて、自然に持っていた絶対音感。今は相対音感しかない。なんとなく、もう一回ピアノ弾き始めれば戻る気もしてるんだけどどうだろう。とにかく、ここまで生きた経験と環境はそういったアートを求められることがほぼ無かったということだ。そういう点で子供と大人の俺にはモードの差があることは間違いない。

同じ人間なのに違う人間。二状態なのだ。シュレディンガーですか?いいえ、ぼくはねこではありません。
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