シンキング・オフセット
常識なんて人それぞれ、どこかしら違う。使う言葉や振舞いやライフスタイルから、似てはいてもどこか違う。ある所を過ぎれば常識はずれと言われ、根っこからずれれば文化の違いと言う。その閾値もやはり生来の習慣で違いが出る。多様性とはよく言ったものだけど、同質文化の中でその言葉を口にして、これほど相反するものは無い。
考えさせられてはいけない。テレビや様々なメディアの世界観は何か特別なものを伝えようとするが、それは「ある場所の日常」で「ある常識」の下でそうあるだけだ。可哀想じゃない、素晴らしいじゃない、そもそもそんな話じゃない。
日本で生まれれば日本の文化で生き、アメリカで生まれればアメリカの文化で、その中で何かを知ってきた気になっているが、そうじゃない。多くの他の場所では違う常識で生きている。条件が重なって「たまたま」先進国の印を押され、世界でも有数の環境で暮らせている。ゴミは問題になるが本書で見れるレベルとは次元が違う。収入や仕事も随分異なっている。だからどうなんだと。
夢が無いと云々、そういう話は聞き飽きた。ただスラムに生きたある男の夢はかつて
「車を盗み、クレジットの暗証番号を聞き出す」
ことにあったそうだ。今は特に夢も無いそうだが、少なくとも日本における車を「買う」や「ブラックカードを持つ」っていう考えとは性質が違う。
上記のようなテーマを目にして、トルストイの有名な件
「幸福な家庭は全て互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである」
が頭に浮かんだ。そして以下のようなイメージも湧いた。
中心の球が幸せで、矢印の方向に離れるほど不幸になる。不幸な座標は無数に存在するが、幸せな座標は球の内に限られる。ただし、座標軸の単位が人によって様々であり、更に人種によっては大きく異なる。
人は近くの誰かと比較して優れている事に悦を感じる。俺の座標はお前のほど悪くない、世界の現状を見てそういうこと言うような人間にはなりたくないなあと思う日でありました。
考えさせられてはいけない。テレビや様々なメディアの世界観は何か特別なものを伝えようとするが、それは「ある場所の日常」で「ある常識」の下でそうあるだけだ。可哀想じゃない、素晴らしいじゃない、そもそもそんな話じゃない。
日本で生まれれば日本の文化で生き、アメリカで生まれればアメリカの文化で、その中で何かを知ってきた気になっているが、そうじゃない。多くの他の場所では違う常識で生きている。条件が重なって「たまたま」先進国の印を押され、世界でも有数の環境で暮らせている。ゴミは問題になるが本書で見れるレベルとは次元が違う。収入や仕事も随分異なっている。だからどうなんだと。
夢が無いと云々、そういう話は聞き飽きた。ただスラムに生きたある男の夢はかつて
「車を盗み、クレジットの暗証番号を聞き出す」
ことにあったそうだ。今は特に夢も無いそうだが、少なくとも日本における車を「買う」や「ブラックカードを持つ」っていう考えとは性質が違う。
上記のようなテーマを目にして、トルストイの有名な件
「幸福な家庭は全て互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである」
が頭に浮かんだ。そして以下のようなイメージも湧いた。
中心の球が幸せで、矢印の方向に離れるほど不幸になる。不幸な座標は無数に存在するが、幸せな座標は球の内に限られる。ただし、座標軸の単位が人によって様々であり、更に人種によっては大きく異なる。
人は近くの誰かと比較して優れている事に悦を感じる。俺の座標はお前のほど悪くない、世界の現状を見てそういうこと言うような人間にはなりたくないなあと思う日でありました。
