二時間働けば十分
一日5時間労働
これが短いと思うかは人によると思う。幸せがどうかもそれぞれだろう。何かを語れば前例と知識量でバイアスがかかる。定説なんてものは無い。国などという規模でみてもなかなか想像はつきにくく、一人の人間が見ているのはせいぜい数十数百の繋がりだ。
大河で昔の公家を表現すれば、いつも前例の話になる。動かない上層部とそれに反発する勢力。どうしてもそこを描きたいのかは知らないが、いつの時代にもつきまとうイベントなのだろう。そして、どこからとも無く現れる英雄や革命家に感化されるのが常なのだ。
何かに属し空気に染まれば、それが絶対の信用を持ってると錯覚するのも生物的に仕方が無い。電気的な制御がされてるとはいえ、金属デバイスよりも脳は遥かに複雑だ。ドライバを入れれば新たな常識を受け入れる訳ではない。しいて似ている所を上げれば、時とともに新しいOSを載せれなくなる所だろう。
義務教育でも、まあ、高校くらいでも、歴史を勉強すれば近代に届かず終わることが少なくない。教えてる側が生きていた時代を教科書で語るのもおかしいのかもしれないが、この辺もまずいと思う。完全に独立した過去として切り離されている感じがするんだよね、俺は。シーケンシャルには大正くらいまでしか繋がらない、なんだったら昭和の中頃まで。
自身が昭和生まれって言っても、物心ついた頃には平成で、その間の影響で個も出来上がってる。隔世感が生まれても、大概家庭環境や近いコミュニティの範囲。それこそ戦争も知らないから、己の絶対を崩壊させられた経験もない。ただ経年による上塗りを繰り返しただけである。ボディの歪みは塗装では治らない。
常識や前例の共有は教養の程度で常に食い違いが生まれる。個人の程度では無視すれば問題ないし、適当でいい。国家観の如く落としどころを見つけようなんてのはしなくていい。しかし、残念なことにロールモデルの保持というカルチャーで形成されるコミュニティでは、そうはいかないのである。枠からのズレをひどく嫌う。
かつての階層格差で生まれた裏返しで、今度はなるべく平均的であることを強くようになった。やろうとしていることは前例前例だった公家の社会と何も変わらないんだけどね。まあ、それが逆に今と昔を繋ぐ証左と言えるかもしれない。
これが短いと思うかは人によると思う。幸せがどうかもそれぞれだろう。何かを語れば前例と知識量でバイアスがかかる。定説なんてものは無い。国などという規模でみてもなかなか想像はつきにくく、一人の人間が見ているのはせいぜい数十数百の繋がりだ。
大河で昔の公家を表現すれば、いつも前例の話になる。動かない上層部とそれに反発する勢力。どうしてもそこを描きたいのかは知らないが、いつの時代にもつきまとうイベントなのだろう。そして、どこからとも無く現れる英雄や革命家に感化されるのが常なのだ。
何かに属し空気に染まれば、それが絶対の信用を持ってると錯覚するのも生物的に仕方が無い。電気的な制御がされてるとはいえ、金属デバイスよりも脳は遥かに複雑だ。ドライバを入れれば新たな常識を受け入れる訳ではない。しいて似ている所を上げれば、時とともに新しいOSを載せれなくなる所だろう。
義務教育でも、まあ、高校くらいでも、歴史を勉強すれば近代に届かず終わることが少なくない。教えてる側が生きていた時代を教科書で語るのもおかしいのかもしれないが、この辺もまずいと思う。完全に独立した過去として切り離されている感じがするんだよね、俺は。シーケンシャルには大正くらいまでしか繋がらない、なんだったら昭和の中頃まで。
自身が昭和生まれって言っても、物心ついた頃には平成で、その間の影響で個も出来上がってる。隔世感が生まれても、大概家庭環境や近いコミュニティの範囲。それこそ戦争も知らないから、己の絶対を崩壊させられた経験もない。ただ経年による上塗りを繰り返しただけである。ボディの歪みは塗装では治らない。
常識や前例の共有は教養の程度で常に食い違いが生まれる。個人の程度では無視すれば問題ないし、適当でいい。国家観の如く落としどころを見つけようなんてのはしなくていい。しかし、残念なことにロールモデルの保持というカルチャーで形成されるコミュニティでは、そうはいかないのである。枠からのズレをひどく嫌う。
かつての階層格差で生まれた裏返しで、今度はなるべく平均的であることを強くようになった。やろうとしていることは前例前例だった公家の社会と何も変わらないんだけどね。まあ、それが逆に今と昔を繋ぐ証左と言えるかもしれない。