カツオとサバト、そして雨上がり
予報が雨なのは知っていた。この時代においてはあまり大きくは外れない天気予報、淡い期待をする訳ではない。しかし、世界は俺にとって都合の良い方へ変わる。まあ、厳密に言えば俺自身がそう解釈すると概ね具現化する傾向にあるのだが。ソウソウ、陽も昇らないうちに家を出た。それどころか日をまたがないうちに走り出した。日本では数少ない山の日を持つ県民は魚を求めて夏の海へ。去年も葉月の頃に経験した重い暑さ。今年は厚い雲に覆われ随分快適。南西の風を感じる爽やかな朝。途中雷雨に襲われたけれど、ほぼ晴れ。求めていた魚も獲れたことだし悪くない。
しかし、平日にも関わらず多くの人が釣りに来—と言ってしまうといかにも短絡な考えだと思えるが、今の日本は概ねそれで正しい。子どもたちは夏休みに入っただろうからいいとしても、やはり多くは学校も会社も一段落付けた方々が多く見受けられる。山ガールとか釣りガールとかいうように、かのフィーチャーされる人種は相対的に少数であり実際まったく見かけない。哲学的に言えば、人が多いところに人がいて人が少ないところに人はいない。多様性に感ければいかにもそれは低く、反対にそれを強制するほどに似通う人々。
何処そこに均等に人が分散しろとはおかしな話であるものの、行動パターンや思考があんまり近いのはもっとおかしい。人間的な近さというよりか後づけされてきたものがそうあることは現代の病気ともとれる。いち市長の素行を持って批判をするとか、ああいう人に潔癖を求める気持ち悪さ。いやほんとに、これが暑さの所為ではないのが本当に残念だ。

