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implosion

インペリアというEV

これは欲しいなー。でももしFFだったら欲しさ半減だったりするなー。スペック的には十分だしエクステリアも俺好みだ。ただ、ハイブリッドの構造的にブレーキングで充電する都合とか考えるとFFが優位だったりするもんね。


ちなみにこれを読んでる人にはどうでもいい話だろうけど、エンジンはV型で駆動は後輪っていうのが俺の中では欲しい要素だったりするのよねえ。従って、最近の(低価格層の)傾向であるFF&直列エンジンの組み合わせってのは気分乗らないことこの上ない。

走るのも曲がるのも前って馬車そのものだと思わんかね、キミ?馬ならまだしも車は機械なのだよ。バランスを考えたまえ。


ところで、このところ低位メディアによってだらだらと伝わってくるあれはなんだろう。日本の一地域の入試事情が莫大な広告収入を使ってやることとは思えない。ただで得れる情報に価値がないまでなら許そう、しかしこれではかえってマイナスだ。新聞もテレビももはや情報源として何の役にも立ってない。テレビを見ると馬鹿になるとはよく言ったもので、それはアホなバラエティだけでなく今やニュースを見たって同様である。

俺が初めてネットの環境を導入したのは12の時。そこから13年の間でコンテンツの良さが逆転してきた。始めから生のデータではネットが優位だった気もするし、家にネットの無い人に比べて俺は遥かに情報を持っていた。自分の部屋にテレビを置くことを許可されていなかったから、その反動でネットの住人になっていくわけだ。導入当時の回線やパソコンのスペックなどのインフラ状況で実現出来なかったことが今ならテレビを買うより安く実現出来る。テレビや新聞を使う理由が無い。わざわざつまらないコンテンツをしかもディレイで手に入れるなんて、そりゃあ年寄の道楽以外では成り立たない。

ここで一つ紹介したい事故の例がある。それは見通しのいい田舎の交差点で起こる事故だ。車が同じ速度で交差点に進入する時、相対的に速度はゼロになるので両者からは相手の車が止まっているように見えて激突するというもの。錯覚の一種なのかなんなのか、こういうことが起きたとき決まってドライバーはいう「見えなかった」と。

つまり何がいいたいかと言うと、横並びで同じスピードで走っていると実は何も見えなくなっているのではないかと。一旦止まってみるなりもっと走ってみるなり緩急付けるべきだ。このまま行けば横並び大好き日本は失われた20年の後みんなで一斉に交差点に向かって死ににいくように思える。その姿はまるでプルトニウム239を使った爆縮型の原子爆弾の再来だな。

俺はその破綻の危機を避けるために爆発の計算でもはじめようかねえ

錯覚の科学
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