Header Ads

行けばわかるのに行かないか

一休さんは恐らく予測はしない人だっただろう。
行けばわかるって言ったんだから。

この言葉をたとえ一休さんが言ってようが言ってまいが
そんなことはどうでもいい。

誰が言ったかで価値が下がる程度の言葉なら誰が言っても響かない

ただ世の中の全ての人がいつも中立な判断はしない。
多くの場合権威の高い方を優先する。

かつてのブラックホールのときもそうだったそうで



俺はその場を見たわけでもないので書物でチラ見した程度のことだけど、なんでもチャンドラセカールの説をずーっとエディントンが否定して、結局そのせいで伸び悩んじゃったみたいな。

この場合の権威による損失は、俺みたいな物理を甘噛みした程度の人間には計れない。しかし、ジジイが邪魔してろくな目に遭ってないことはとても理解できる。いつも年寄の言う事は間違っているというのは正しい。ただ、そこで止まってしまったのがよくなかった。

行けばわかってた

結局権威は纏った時点を頂点とし、その威光は下降し始める。なんだろうな、入った瞬間がピークというのは何ともありがちで、高校、大学、会社と時間経過で冴えなくなるやつは多く見てきた。
今はテレビで政治の話題に触れている瞬間なんかもそれと同じ様相が見て取れる。政治は国民の振舞いを写す鏡。今の政治を見てイマイチだと、すぐに辞めてなんだと、選挙が全てかと、少しでも思ったのなら、それはあなた自身が社会でそうやって生きることを求めていると考えるのが正しい。つまり、大した仕事をしてない、三年で会社を辞める、入試/社を大事にしてきたということ。

俺は、私は違う。そんな事は誰だってそう思いたい。しかし、政治がやっている事は実はちゃんと世論を反映している(ような気がする)。口ではなんとでも美辞麗句を並べられる。だからと言って行動に移す人はその何パーセントだろうか。そう、誰も行けばわかるとわかっていても行かない事が多すぎる。

そうそう、俗にいうかしこな学校(高校まで)は校則なんて無いに等しいところが多いのはなんでだろう。俗にいうヤンチャな学校は校則が厳しいのはなんでだろう。
ここに国の縮図が既にあるとは思えないだろうか。

学問のすゝめとはよく言ったもので

学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)
福澤 諭吉
筑摩書房
売り上げランキング: 1213



さて、ここで美丘の話を。
今日の回で、どうせ死ぬなら好きに生きようと思ったという台詞があった。

苦しい世の中だよね、逆に言えば。いざ死ぬ寸前にでもならなければ好きな事も出来ずに我慢しなきゃいけないなんて。釈迦は生きるとは苦しいものだと言ったけど、死ぬ寸前の自由さはどう説明したんだろう。勿論完全に楽になったわけじゃないけど、生老病死の死に関しては確定してしまった。確定してしまうとぶら下がり状態からは開放される。いつ死ぬかわからない不安状態よりかは近い未来にある死の方が安定点には近い印象がある。まあ、マーケットの波をイメージしていってるだけだけど。

つまるところ

行くしかない。

止まる事は許されず、振り返る事は出来ないし、遠くはかすんでわからない。
一歩目がどうかもわからないのに目標を立てて歩く事に意味はないし、距離がわかったところで今は変わら無い。ついた先で何が起こるかも関係ない。

ただ行く。逝って逝って逝って逝って
宇宙もそこに辿り着いたんだよ。逝き続けるというところに。

Powered by Blogger.