どこからどこまでが個性なのか
気が利かないなんていうのは、もうどれだけ言われたかわかりませんが、これが個性だと言われた事はありません。というか気が利くって何なんですかねえ?利いて普通みたいな顔しないで欲しいです。必要があって、どうしても助けがいるとなれば気の一つも利かそうと思うのは当然ですけど。あの時なんで手を貸してくれなかったといったような、後からごちゃごちゃ言われるのは嫌いです。なんでその時に要求を言わないで後で文句を言うのかなあと思います。文句を言いたいがため、またはこっちが気を利かせるのを待っていたかのような言い方、計った態度を見ていると、何がしたいのか理解に苦しみます。
俺としては言われない事までやろうなんて思いません。サービスとヘルプを一緒にされると困ります。慈善でやってる場合にはそういう事も成り立つのかもしれませんが、自分としてはもっとドライな考え方でしか行動しません。
世の中(少なくとも日本の中)では常識として通っている事でも、疑いなく受け入れられる事って多くないのです、俺は。物心ついたときから世間に対し「合わないな」とか「違うなあ」とか思う事は度々あって、都合その辺は慣れと経験で適当に馴染むようにはしてたけどね。疑う事無く受け入れれる人と違って、心からとけ込むなんて事はしなかったんです。それを今更変える気なんてありませんし、大多数としての自分の人格なんて蚊ほどの価値も無いと思っています。与えられた個性は言葉としての存在意義しか持ってないからね、そんな義理なら喜んで蹴ります。
さて、最近、経産省に興味を持っています。"官僚たちの夏"の影響も無くはないですが、アレを見て良い方には捉えてません。ただああいう場所で経験する事ってレアなのかなあと思って。まあそれこそ、俺みたいなのがあんなとこで頭角を出せるのか微妙ですけどね。多くの場合、俺は第三者目線での方が上手くいく事が多いと思っています。あくまでフィクサーとしてとか、株主としてとか、直に関与すると良くも悪くも場が荒れると思います。
荒れる、といえば今日久々に拳を鍛えようとしたんですが、随分弱っていて、前と同じ感じで圧をかけるときつい感じでした。これじゃあ痛いですね。自分のパワーに負けてては自分以上のものを突き崩す事は出来ません。パワーを支えるデュラビリティが備わってないと怪我します。
そうそう、今日はカラスが蝉を襲う瞬間を見ました。いいですねえ、野生はシンプルで。一ヶ月の命をシーズンの餌くらいに思ってるのかなあ、カラスは。