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スージー

最近俺は、筋を通すという言葉が嫌いです。筋を通すという言葉ほど言葉の意味を上回らない事はありません。筋が通ってると思うような事をバックボーンに、筋を押し付ける人間がほとんどだからです。

ではなぜそこまで筋を通すと言えば皆が納得するのか、それは変に賢い人が大多数である事と、一部の頭の痛いバカが自信満々に筋を主張するからです。



所詮筋なんて言うのはその時勢を反映した常識程度のものを大きい声で言ってるに過ぎません。首尾一貫なんて言う辞書的な意味からはほど遠いと言えます。 筋が通ってるからなんなんでしょう。

逆に言えば筋の通っている事なんて世の中にどれくらいあるのか。筋が通らないと世の中が崩壊するなら今こうしてブログを書いている俺もいませんし、目の前のディスプレイもない。

矛盾という言葉があるように何でもかんでも首尾一貫してるなんてのはかなり不安定で歪な状態だと思います。それこそ一個ずれれば他が全部破綻するくらい脆い。

流動性という面で見ても筋が通ってしまうとそれはゼロといえます。筋を通す方に向かう過程と筋が通らない方に向かう過程が波のように安定しないから流動性が生まれて物事が動いていると俺は解釈しています。

だいたい、有史以来筋を通して通してきているなら何も発展しないだろうし、どうしようもないくらい単調な時間だけが過ぎていったでしょう。発展は旧来の筋を壊す時に生まれる。つまり筋なんて壊されるためだけに存在した。その程度のものをさも大事かのように扱われてはとても迷惑です。

自分の行動に疑いももたず、誰かがどこかで散々言い尽くしたカビまみれの理屈を振りまかれても何の響きもしないどころか、インテリの低さにうんざりする。

低いインテリであればあるほど型にはめてルーチン化した方が機嫌良くいる、そんな人たちとは話もしたくないし、時空を共有したくもない。

良くも悪くも変わってこそ人として興味がわきますね。

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