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変わるのと変わらないの

ゆとりだか新人だか

この手の話はいつまで言い続けるのかというくらい耳にした。しかし思うのは、組織付けの人間はそれくらい変わっていないのに対し、入ってくる人間はいつも変化をもたらすわけで。逆に言えばそれだけの効果しかない新卒を毎年景気に左右されながら馬鹿みたいに採る方がおかしい。

それに、何か型にはめて安心してるような人にどれだけ立派な講釈を垂れられても聞く気にならないよね。相手にアレがダメこれがダメと言ってるうちは二流の枠を越えない。自分がどうしたらいいかを考えたらどうなのか。



まあ実際多くの問題は若い人間より年取った人の方が抱えているわけで、なまじ経験とか習慣がいろんな柵になってるんだろう。その意味で半端な成功体験というのはそこに拍車をかける。

しかし、電話とらないくらいでいちいち問題視するのか。メールでことが足りるからメールなわけで、携帯がある今、会社で一括してとらないとすぐに個人につなげないって微妙だと先には思わないんだね。別にとらないでいいとは思わないけど、本質的にどうしても必要なのかと言うと、どっちでもいいような気もするね。俺は電話自体受ける側でのメリットなんてあったことない。あの「お時間よろしかったですか」という無駄な件。時間よくなかったら出ませんけど、そのくらいいつでもいいならメールにしてくれた方が文面で残るし都合いいと思う。ホリエモンさんがテキストの時代ということを言っていたけど、まさにそうで、逆にテキストじゃなかった時代は何やっていたのかねえ。

記憶に関しても、テキストの方がほとんどの人は得意なんじゃないのだろうか。俺は映像で切り取った方が上手く記憶出来たりするからテキストというよりかテキスト画像になるけど。その上で音声のやり取りとなると劣化の具合が激しい。八割が視覚によるものだというから電話みたいな音オンリーなんて。名前も「難しい方の龍です」とか「弥生の弥」と確認した上で時に起こすって言う手間。

あ、別に俺にはあんまり関係ないからどうでもいい人ごとではありんすが

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宗教とひとまとめにしてしまうには余りに知識が浅はかだと。俺は少なくとも神任せではないし、その意味では一神教につけないかもしれない。神社とか好きだけど、多神も数でいろいろうやむやにさせてる適当さは嫌いじゃないよね。
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