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何を纏ってまとまる

個が強くなりつつある時代、まとまる重要性が高いかは別にして、少なくとも日本は日本人と言うことでまとまっている。

多くの国は人種もより多様で、文化や宗教の違いもある。従って、共通のコミュニティで生きていくためには共有すべき何かが必要になってくる。それは言語であったり国旗であったり、方法はなんでもいい。



ただ、日本のまとまりって言うのは常識とか平均的っていうまわりと横並びでいるだけのもの。みんなが死ぬ時に死ぬことは正解で、みんながサラリーマンの時はサラリーマンが正解で、ちょっとでも外れるととても悪いような認識を持たれる。そしてそういう事を強制する人が少なくない。人とは明るく快活でフレンドリーであることが至上のように言い、多くを語らない人間を暗いコミュニケーション能力のない人間だと決めつける。自分と合わない人を受け入れることが無く、人を変えようとして人を批判し、人の足を引っ張る。こんな話が非生産的であることは一桁歳の子どもがイソップ童話の次くらいに読むだろう蜘蛛の糸で明らかだ。

古典にも書かれている、小人は同じて和せず。
まあ狭い日本の領土には小人(こびと)がぴったりなのかもしれないね

この国では今でも神云々と口にすることが問題になるけれど、ノアの方舟的に異端を殺していくあたりは神の国を一番地で行ってる気がするのは俺だけだろうか。人の国の宗教を捕まえて過激だとか言えた義理じゃない。そもそも特定の神の有る無しが人の過激さを決めるわけではない。

さて、話は変わるけど

感情渦巻くマーケットと向かい合ってることが多い昨今。どこまで得をとるかって言うのはなかなか決めにくいものだけれど、得てして欲をかきすぎると逆に損を出してしまうことは珍しくない。ただしかし、そうはいってもとれる利益を逃してしまうことは結構心理的にはストレスを避けれないことも確か。基本的には損をしないことを絶対ルールとして守るべきで、むしろそこさえ徹していれば何も問題は無いはずなのだけれど、心の隙と言うか一瞬の揺らぎが目の前に起こる崩壊を避けれなくする。

なんて事を一日中考えてるとそこそこ息が詰まる。それこそ近所に公園でもあると頭の中をクリアに出来るような気がしていいなあと思っている。公園は無いのだけど俺にとっては神社がその代わりをしている。だから橋下さんが言うような大阪駅の傍にセントラルパーク的な発想は、建物の中で生活することの多い現代人にとって実際重要なことなのかもしれない。

こういったことは人生論で言うところの動物的な生命と理性的な生命の分裂とよく似ている。

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