導かれ
珍しく一生懸命な時間を過ごしている。
ただただ一生懸命な時間を。
あくまで平均的な俺の状態と比べて、やけど。
もう二月も数日が過ぎ、世間では新しく来る瞬間に備え出す
そんな時である。
いろんな感情を持って事が動き、
世の中が
いろんな意味で暖かくなるのを俟つ頃である。
しかし今日この頃と言えば、気温はそれほど下がらず
反対に、社会としての活気は下降線を辿るのみである。
人が必死に皮をかぶって守ってきたメンツも
積み上げた努力も見事なまでに駄目になってきている。
常に最良になるような最大限のがんばりも
一度崩れ始めた大きな山の土砂を止めるほどの壁にはなり得なく
その時を傍観するだけの価値しか無い。
一生懸命さに罪は無いけれど、
そういう熱をとって善良な解釈をする気にはさらさらなれない。
例えば、頑張った結果駄目だったというのが耳に悪くないのは
頑張ったという事が結果よりも重要視されている証拠である。
もちろん過ぎた事を言う事こそ不毛で不浄ではあるけれど、
具体的な取り返しの案が無い間には十分なつなぎとしての役は果たしてくれる。
不幸な様相は常に変化に満ちて同じ形を示さない。
世の中に生きる多くの人は一つの同じような幸せの形を求めて生きてるから、
話一つとってみても聞くに値しない事が多い。
それはどんなに非効率で非生産な事でも形成される社会の上で
築き上げた人が満足するならば正解と見なされる。
むかしから心のどこかで人並みに普通の生活を送る事は無いと
何かのきっかけがあったからというわけでもなく、そう思うことがよくあった。
むしろ思い始めた時からそうなる事は確実だったとも言える。
自ら道を外さないと歩まない道に足を踏み入れ
遠回りなのか近道なのかも分からない場所を常に歩いている。
早い段階ならばもとの道に、戻る事も可能だったかもしれない。
戻る気があれば。
しかし、普通の道は戻ろうと思えば戻れるし
前後の見通しもいい不安の無い状態である。
本当は引き返せないriskを冒すことが前に進む時には大事。
今も更新してる暇なんて無いけど
一度歩き出したら最後まで。