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村正も人の剣

近々の犬夜叉はなかなか良かったねえ。

人の剣に執着しているうちは、自らがその剣の持ち主を越えることは出来ない。
そしてそれに気付いて、己の中に或る剣を抜いた殺生丸。

これは現代にも当てはまることは言うまでもない



何が剣の変わりかはその時代その頭で考えればいい

いつぞやは剣を越えたペンがあっただろうか、今はそのペンは窓や林檎やペンギンだろう。しかしそのどれも、自分の剣を振るっている人だけが名を馳せるほどになっている。ゲイツもジョブスもリーナスも。そして幾分かをうち分けた使用者も、その名刀のパワーを利用することで多少の利益を得ているかもしれない。

確かに名刀の切れ味を欲してしまうところはあるのかもしれないが、それが刀でなんであれいずれは自分のうちにあるものを引き出すべきである。寿命と言う期間の中で借り物の体に入ってという理屈、間違ってはいないけれど、そういう意識は把握だけしていればいい。そこで心身の契約形体がなされているとでも思えば。

そして一時的であれ借り物であれ、オリジナルは一つなのである。今は時勢的に所有にメリットは無いのかもしれない、しかし所持しているものに関してはよく考えた方がいい。生きていくためにその刀をどう振るか。振っている刀が自分の振るべき刀なのか。

今まで、生きていくためにまとまって刀を振る期間が続いていた。一度折られた刃を直すために。しかし、もうそれ以前のように各々が自由に刀を振れるような時代にチェンジしようとしているのではないか。

最終的に人の刀では生きていけないのだから。

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