周辺視野
速い速度で移動するとそれだけ視界が狭くなる。
例えば大きなものを認識しようとした時
大方、止まっていれば下がったりして見れる。
しかし、向かってはその全貌をつかむ事はむつかしい。
間違った自信を持つ人間は大きなものに向かいたがる、
掌相手に勝ち誇っていた孫悟空のように。
実際には遥か低次元で喜んでいる
見ている世界認識の甘さが命取りになる訳で、
悟空の例で言えば掌から確認した釈迦はおそらく
まともに対峙しても勝てる域ではなかったはずである。
世界を巡り見た景色は釈迦であるとき
人はどう行動するのだろうか?
もちろんそんな事考えずに満足してれば幸せやろうけど
俺は悟空にはなりたくないもんで。
それは世界を見たくないという事ではなく
もし釈迦と対峙した時、張るに足るかがみたいということである。
悟空もかなり、常識を超えた強さなのは間違いない。
どこぞの悟空と違い髪が金になったりできまへんが
それでも如意棒を振り回す範囲では十分。
釈迦は倒せずとも多数の小悪党ならと、
まあこういう運びで正当な評価を受けないはみ出しが出る。
つまり
悟空じゃなくても倒せる悟空以上の存在がくすぶるという事が
あるとかないとか。
たぶんやけど
こういうのを補正するべく三蔵法師が出てきたんやろうと。
散々出しゃばっても三蔵にすら頭が上がらへんって言う
現実。
釈迦は生まれてすぐにあたりを見て天上天下唯我独尊と発した。
言ってみれば周辺視野の最たるものである。
「俺が一番やな・・・」てことやろ。
言うなればルフィが「海賊王になるのは俺」っていうのと
変わらへん。
んー
そういう意味では頂上一点を見てるという
周辺視野の狭さを持てる事はそれほどの器とも言える。