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ラス2

来週はクリスマス、再来週は大晦日と、ある人にとっては特別でまたある人にとってはなんでも無い一日が待っている。週ごとに別宗教に切り替われるこの柔軟さこそが日本人のいいところであり、宗教色の強い海外での行動(支援活動とか)もスムーズに行える。

イスラムの怒り (集英社新書 493A)
内藤 正典
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ただ、自分が何教かは凡そにおいてメリットとデメリットを含む物である。無信であるからこそ理解出来ない事や受け入れられる事も存在し、そうでありながら何かを信じている人の事に無知なせいで踏み入れてはいけない部分もわからなくなる事は少なくない。



世界に散らばる文化や宗教の一部は歴史と言う形で小さい頃から学校等で学んできてる。しかし、そんな数年の学習のみでかの多様な領域を把握出来るとは思えない。おれは中学校のツレの影響で歴史はそこそこ興味を持って勉強したし、今でも歴史本を読むのは好きである。
とはいえ、どこの国の事もメディアで表面的に伝えられてるような印象以上の事を知っている感じはしない。それはメディアが賢くないと言ってるようでとても残念な気もする一方、それだけ情報のハードルが低いのかとも思っている。

日本は単純にガラパゴスと言われるけど、情報に関してはそうも言えない。勿論本当に正しい情報を得ているかなんてわからないけど、国内の事も国外の事も割とすぐにバレる。そういう意味でリアルガラパゴスとは違いガラパゴスと言う意識もある。

己が無信なのか単なる無知かは今の例で言えばガラパゴスマンセーかガラパゴスが何か知らないかくらい違いがある。一部では何も知らない事が強みだと言われる事もあって、変な誤解を与えてる。確かに時期によってはそれも間違いではないかもしれない。多くを知れば知るほど頭でっかちになって行動的でなくなる場合もなまじ知らない方がいい。ただし、多くの場合何も知らないことはデメリットの方が多い。

納豆はあるところまでは混ぜれば混ぜるほどまずくなっていくように、混ぜれば美味しくなると言う知識では足りない。美味しさのグラフは√のような形(横軸;撹拌回数,縦軸;おいしさ)で描け、魯山人によると424回で上手さピークを迎えるそうだ。これは納豆の種類による誤差とかは何も考慮されていない感じはするものの、混ぜるか混ぜないかという点で言えば混ぜない状態でもそこそこ美味しく頂ける事はわかる。

世の中に存在する物は雑に言えば同じような振舞いや性質を持っていて、意外なリンクも見受けられる。何に気付き何を思うかは出来る限りの多くの経験によって正確になっていくはずである。サイコロの確率が無限に振った時の結果であるように。

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