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30過ぎての生きるモチベーション

そんなものは無い。

だから多くの人は30までに結婚したり子育てしたり、自分以外の人生で甲斐というものをアウトソースし出すんですかね。知らんけど

まあぼくの場合は二十歳そこらのアイドルの成長眺めるくらいでもういいやってなってますし、別段先に期待もしなければ幸せを求めてどうのってことももはや無いわけです。ただ、そうはいっても面倒や邪魔なものというのは求めるものに関わらず発生して、日々の生活を面倒にしています。

生まれた段階で多くのことは運命付いていて、切れるカードに不満を言ったところで何も変わりません。隣に生えてる芝だかレモングラスだかに想いを馳せてもある種キリがなく、どんなに望んでも大概のことは実現しないし、手に入りません。

それどころか、やりたくない事は増える一方で、まさか降りかからないだろう厄災までその身に起き出すものです。負の引き寄せとでもいいませう。

自助努力でも無理となって、一番には他力本願があり、その形が体良く昔は家族となっていました。確かに家の影響を半減するにはいい方法で、昨今のような広域のネットワークも無い下においては至極都合が良いです。

繋がりだけで言えばそのエネルギーが仕事とかでもいいんでしょうけど、中身的に長期の承認欲求を満たしてくれるかと言えば、幸せ同様考え方とか見方みたいな誤魔化しで有耶無耶にされるだけです。

なんて言うと、平均的には鬱傾向な取られ方でもされそうですが、気持ちのセットというのも一様な広がりではないし、果たして正確な分布なんて把握できるのかとも思うわけです。自分はさて置きという前提が、幸せを求める人とそうでない人で非対称なんだっていうケースへの想定は大きく、常識ベースで生きてきた人にはまず理解されません。

逆に言ってしまえばモチベーションがなくても生きていく環境、というのが幸せとはという余計な疑問に飛躍して、事をややこしくしてしまうんですね。

人の下に幸せとかモチベーションとか、そんなものが全部あるとは限らないんですけど、人間そのものは意識した事は全部意識下にあると思ってしまいますからね。わからないものはわからないものとして分離しておいて欲しいものです。
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