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節操がないはポジティブである

人生には波があって、その時々でまるで別人のように振る舞う時があります。自分なども振り返ってみれば、ろくに一貫性などはなく、その場のテンションとノリで発言し行動していたように思います。そしてこれが年齢とともに整合性を取れるようになるかと言えばあまり変わらないわけです。

何に巡り合って人が変わるかは本当に予想できません。昔なら目もくれないようなものに惹かれ、ハマり、飽きる。いつも今はこれしかないなんて視野狭窄になろうとも、いざ自分の手から離れざるを得ないとき、驚くほどに短い時間で熱が冷めるのです。

ものでも人でもそうです。あんなに愛着があったのに、あんなに惚れ込んだのに、一体何だったのか。その時は悲しみに暮れていても、寝て起きてを3日もすればもう随分と遠い過去として脳が処理しています。

もちろん人によって差はある話です。ぼくもずっとそうだったということではありません。小さい節操なさが押し寄せるタイミングが人生に何度かあって、そのたびに節操なさをより大きく取り戻すといったような具合です。そしてこれが次はいつピークになるのかという感覚でしょうか。

本に触れ人に触れ、昨日と言ってることがまるで違う、もっと時間が空けばもっと違うかもしれないし、たまたま同じような事を言ってる場面になれば変わってない印象になるかもしれない。ただそのトレンドの時間軸の幅が節操のない部分に見えてるということでせう。


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