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将来の意識レベルを予想する

大人になって、まあ大体成人過ぎたあたりですかね。急に意識高い発言とか目立ってくる人がいるわけです。やたら先取りとかなんとか流行りに乗ったり、海外との比較で物言うとか含め。これ、根っこというか、生来の影響もあるでせうけど、中二病と近いものがあるように思うんです。

ぼく自身は意識が低いどころか地を掘っているので、絶対値でもとらないとろくに観測も出来ないくらいです。ただエンターテインメントの一環で、やたら意識高い感出すことは多くありますよ。無駄にアグリーとかコンセンサスとか言ったりして。

じゃあこういった現象はどこで分かれ道になるか。それは小学校の係や、卒業式の声出しくらいから片鱗が出ていると考えてます。

もはや何係があったかは定かではありませんで、調べたらこんな感じだったです。

記憶の限りでは、係を持つことが面倒だとわかった段階から、一番何もしなくていい係に着くことにしていました。掲示板係とか、新聞係とか、動物飼ってないときの生き物係とか。まだこのくらいの年だと色々やりたがるはずなんですけど、ぼくはそうでもなかったんでしょうね。

卒業生に送る言葉とかあのへんも、個人パートは「二年生!」だけでしたし、六年の別れの言葉も同じくらい短い一言を選んだ気がします。長い言葉をやりたがる人の気がわからなかったのです。なんで単語じゃなくてわざわざフレーズを取り合ってるんだろうって。

そういうことですよ。

確かに、意識高くいないといけない場面って過去何回かありましたが、無理でしたもん。気持ちだけじゃどうにもならないっていいますか。シードの発射角の傾きを維持したまま大人になると、ギャップの解消は困難ですからね。

じゃあそこを埋める(必要があるかは置いといて)ものって何かというと、大人になって以降の勉強量という話になるんだと思います。
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