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philein sophia

哲学者ではないですが、哲学を志した人の書いた本はとても読むのに時間がかかります。そして度々欠伸を誘発するのです。全然頭に入ってきません。一時間で50ページ進んだか進まないかくらいです。何が違うんでしょうか?やはり文章が難解なんでしょうか?哲学もワインと同じように、「酸味がエレガント」的な共通言語みたいなのを使って表現する事で、後から見た人が間違った解釈をしないようにしているんですかね?いとこにでも聞いてみようかな、確か哲学科を出たはずだから。
しかし、そんな中でもちゃんと吸収はするのです。
ぼくは長年、自分の事くらいは理解しようとしていましたが、今日読んでいた本に、自分を理解しようとする事は到底不可能だとありました。それは主体と客体を明確に切り離すことが出来ないからだと。うーん、わかるような気がしますね。常々、自分を理解しきれないのは自分の才能や潜在能力が大きすぎるからだと思ってたけど、どうもそれだけじゃなかったみたいです。そこら辺が表に出ただけでも進化です。


そうそう、近所に球場があるのですが、若いエネルギーが溜まっていました。あついですね。若き日の1ページですか、なんともさわやかな響きです。ぼくは13くらいで既に失っていた感覚です。確かお金に興味を持ち出したのもそのころですが、特に関係性はないはずです。
でね、この野球を始めとするスポーツってスポンサーがいますよね。サースポンが。この出所は企業な訳です。メジャー選手の莫大な年俸を支える企業です。スポーツ選手を広告塔として企業が儲けるのは確かですが、選手の側が圧倒的に称賛を浴びているのがどうも気になります。まあ差詰め、一個飛ばしすると無関係なものと考えるからだと思います。最近接のものだけを考慮してものを言うわけです。とはいえ、利用してお互いの得になるなら別にいいですけど。いつでも付いたり離れたり出来るし。


しかしまあなんですね、図書館って今思うと、蔵書が増えるにつれてITがあってよかったなーと思ってたんですが、今でも棚の位置くらいまでしか検索しないんだよね。やるなら最後までやりゃあいいのにと思います。

それとは少し違いますが、デジカメのメモリカードを無くして直にサーバとかに送れたらいいなあと思います。メモリーはいっぱいになったら又ハードディスクとかに移すんだからはじめからハードにいった方が効率いいのです。

今はITという産業自体、ありものとくっつけたり単なる電子化みたいなのが多くって若干停滞してんじゃないのかなとか思ってしまいます。参入リスクっていうか、わざわざ新しくはじめる事が画期的じゃなくなってきてるように感じます。俺がはじめてPCに触れてからもう十年以上経ちますが、個人使用のレベルでは進化の傾きが緩やかになってきています。知らないところでは何らかの発展でもしてんでしょうけど、そろそろシフトの時期ですね。本来のあるべきITの利用価値を広げていかないといけません。が、俺はそんな発展のために手を出すのもめんどくさいので使う側としての単なる文句で終わります。

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