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書と書く

書は書くこと自体に意味があると思います。
しかしそれ以外の記録のための行為は書くことに意味はないと思います。

お手紙も封筒もそれと同じで伝わればいいと思うんです。

手で書くのとても面倒くさい。

プリンタをもっと大きいサイズで買えばよかった。
A4じゃ封筒は印刷出来ません。



そもそも、(手書きの)紙のやり取り自体なければいいのに。

お手紙とか、暖かみとよく聞きますが、長いこと貰ってないとそれが普通になったりしませんですか?今時、紙の媒体を時間かけて作ったり運んだりっていうのがとても重い(いろんな意味で)。そこに時間かける意味がない場合も結構多いです。あと、修正の手間と言ったらパソコンの比ではありません。

もちろんどうしても必要な時があるかもしれません。手軽さで上回る時とか。記憶するための写経とか。

でも極力減らした方がいい。木切らなくていいし。

紙はあくまで物であって人じゃないです。その人と人との間に入ってる道具にいいも悪いもありません。ただ、世の中で単純に処理出来ないのが「好き嫌い」と言う好みである以上、どうにもしにくい問題ではあります。

単に早いだけがよくないということもあるにはありますが、その遅れた差分だけいいことがあればいいですけどね。郵便の類とかはどう考えても遅れて来るだけのメリットは感じません。


人と会うことだって、この早さがあるからこそ出来るんじゃないでしょうか。いちいち文書を送ってとなると今日思って明日会うなんて無理な話です。印刷技術もなければ数を用意することも無理。


ちなみに、

中学校の社会の資料集にビルゲイツの言葉が紹介されていました。「ぼくはwindowsを作ってすごいと言われていますが、紙を作った人には全然及びません」的なやーつ。本当にそう思ってんのか、また言ったのかは知りませんけど、それを引き合いに出すのかって感じ。


ところで誰?紙作った人って?中国人かなぁ...?
・・・・あっ
だとしたら逆にすごいですね、その時分にもう中国の存在を意識してたなんて(?)。

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