900
記事が900に到達しました。1000まではあと100です。今年中には到達するでしょう。五年弱くらいの期間なので二日に一回くらいは更新してる感じです。今年25なので五分の一の人生を何かしらの形で記録してしまってるわけですね。
かといって、振り返るわけでもなし、その時その時で書きたいことを書いてるだけで何か高尚な意図があるわけでもない。
でもそれでいいのです。やりたい事があって、十分暇を潰せて
まあ世間では経済的な成長こそが重要な風潮にあるように思えますが、それは正しい。人が何において幸せを感じるかなんてのは一概に言えませんからね。おれも経済的な成長は不幸を多少なりと軽減出来ると思っています。しかし、成長してなくて幸せが軽減すると言う逆は起こんないわけです。
子どものときは全然金なんか持ってなくてもそこそこ刺激に包まれ、毎日の新鮮さも相俟って楽しく過ごせていた記憶があります。とはいえいつまでも子どもじゃないからね、出来ることが増える分、金で買えるおもしろさも覚えてしまう。人の性質上安易に転換出来るところで処理してしまうのは自然なのかもしれない。金は誰も差別しませんからね。
とはいえ、人は常に非合理的な生き物だから、冷静に考えれば妥当な選択であっても、正しい方を選ばない可能性だって高い。大人であっても子どもであってもそれは変わらない。どんなに知識や経験を貯め込んでも未来を予測することは無理だし、何かをすればこうなるという公理もない。そもそも、世界がそんな完全性を持ってるかは知れたものじゃない。
それを差し置いて将来のことを考えたり将来のために貯金をしたりってのは違和感を感じる。世界がどう動くかわからないのに、どこかへ目標を定めるのもおかしなことである。つまり、方向音痴な俺が高いビルや木を目指すように、その木やビルがいつも同じところにあるという錯覚。世間が作り上げた目標に向かうなんていうのはその程度で、単に理由が欲しいだけの自己満足に過ぎない。達成することを繰り返した先にはまた目標を見つけるという作業が待っている。無限遠に向かうならまだしもそれは定まらないゴールであるし、仮に目標を定め続けたとしても、それは周期的境界条件の如く同じ点を上塗ってくだけになりそうである。
ただ、目標と別に期日がなければがんばれないアーティスティックな感覚というのもやはり必要で、いつまででもいいと言うと何も完成しない。ずっと生きれる人間が生きる努力をしない的発想で。その期日は言い換えると期間限定の目標なのかもしれない。
だから、なんというか、100にはならないのに最も精度の高い100%の近似を求めてるようなものなのか。
求めていない俺からすると始まりも終わりもなくって、どこに辿り着くかより辿っている道がどうなってるかしか興味がない。常に備えるよりも、備えなくていい力がある方がいい。
今の日本はその力がないから予測も出来ない将来からいろいろ借りてるんだろうね。
かといって、振り返るわけでもなし、その時その時で書きたいことを書いてるだけで何か高尚な意図があるわけでもない。
でもそれでいいのです。やりたい事があって、十分暇を潰せて
まあ世間では経済的な成長こそが重要な風潮にあるように思えますが、それは正しい。人が何において幸せを感じるかなんてのは一概に言えませんからね。おれも経済的な成長は不幸を多少なりと軽減出来ると思っています。しかし、成長してなくて幸せが軽減すると言う逆は起こんないわけです。
子どものときは全然金なんか持ってなくてもそこそこ刺激に包まれ、毎日の新鮮さも相俟って楽しく過ごせていた記憶があります。とはいえいつまでも子どもじゃないからね、出来ることが増える分、金で買えるおもしろさも覚えてしまう。人の性質上安易に転換出来るところで処理してしまうのは自然なのかもしれない。金は誰も差別しませんからね。
とはいえ、人は常に非合理的な生き物だから、冷静に考えれば妥当な選択であっても、正しい方を選ばない可能性だって高い。大人であっても子どもであってもそれは変わらない。どんなに知識や経験を貯め込んでも未来を予測することは無理だし、何かをすればこうなるという公理もない。そもそも、世界がそんな完全性を持ってるかは知れたものじゃない。
それを差し置いて将来のことを考えたり将来のために貯金をしたりってのは違和感を感じる。世界がどう動くかわからないのに、どこかへ目標を定めるのもおかしなことである。つまり、方向音痴な俺が高いビルや木を目指すように、その木やビルがいつも同じところにあるという錯覚。世間が作り上げた目標に向かうなんていうのはその程度で、単に理由が欲しいだけの自己満足に過ぎない。達成することを繰り返した先にはまた目標を見つけるという作業が待っている。無限遠に向かうならまだしもそれは定まらないゴールであるし、仮に目標を定め続けたとしても、それは周期的境界条件の如く同じ点を上塗ってくだけになりそうである。
ただ、目標と別に期日がなければがんばれないアーティスティックな感覚というのもやはり必要で、いつまででもいいと言うと何も完成しない。ずっと生きれる人間が生きる努力をしない的発想で。その期日は言い換えると期間限定の目標なのかもしれない。
だから、なんというか、100にはならないのに最も精度の高い100%の近似を求めてるようなものなのか。
求めていない俺からすると始まりも終わりもなくって、どこに辿り着くかより辿っている道がどうなってるかしか興味がない。常に備えるよりも、備えなくていい力がある方がいい。
今の日本はその力がないから予測も出来ない将来からいろいろ借りてるんだろうね。